アエーシュマ

Aēšma

地域・文化:ゾロアスター教


 パフラヴィー語: ケーシュム、ヘーシュム。
 ゾロアスター教における主要な魔神。その性質は、「凶暴」「酩酊(悪酔い)」「暴力」であるとされる。血塗られた棍棒を持つ。
 アエーシュマは、その最初のときから魔性のものだった。ヤスナ第30章(最古の経典「ガーサー」3)には、スプンタ・マンユとアンラ・マンユがそれぞれ自分たちの意思によって正善なるものと邪悪なるものを選んだ。アンラ・マンユが邪悪なる極悪事を選んだのは「正しく区別をつけなかった」からであるとされるが、これら双子の二霊の下位的存在であるダエーワたちもまた、「正しく区別をつけなかった」。ダエーワたちは「まよわし」によって最悪なるアカ・マナフ(悪思)を選択したのである。そして彼らはアエーシュマのもとに馳せ集った(6節)。アエーシュマは、ここでは邪悪なる人々が世の中を毒するところのものであるとされる。
 また、アエーシュマは、ヤスナ第29章(「ガーサー」2)に名前が見える。ここではその特徴が並べられている諸存在とともに明確に浮き彫りにされている。

御身どもに牛の魂は訴えた
「だれのためにわたしを御身どもは創造したのですか、
 だれがわたしを造成したのですか。
わたしをアエーシュマと暴虐、残虐、それに虐待と暴行がしめつけています

 つまり、アエーシュマは暴虐(ハザフhazah)や残虐(ルマrəma)などとならぶ邪悪な存在なのである(ほかにヤスナ第49章第4節など)。また、とくにこの箇所では、牛の魂を苦しめる悪魔として現れている。ザラスシュトラ本人による教義では、牛はとても大事な家畜であって、アフラ・マズダーの善なる創造物であるとされる。それに、アシャ(宇宙の法則)に従って大地を繁栄させるためには牛が重要なのである。だから、牛を生贄にして苦しめる儀式を行ってはならない。しかしアエーシュマたちは牛を傷つけ苦しめている。そのため、ここで「牛の魂」は天上の法廷に訴え出ているのである。
 ヤスナ第44章第20節では、カラパン僧とウシグ僧が叫びながらアエーシュマに牛を捧げるとしている。カラパンもウシグも、ゾロアスター教では邪教の代名詞である。

 しかしこのような悪魔アエーシュマも、終末時には倒される。
 「彼らは諸邦のサオシュヤントらとなるでしょう。彼らはアエーシュマの打倒者として使命づめられているからです」(ヤスナ48.12)
 サオシュヤントというのは、簡単にいえば救世主のこと。また、カラパン僧が使用する、「それらをもって吐き気を催させ」るという「酒という汚水」を善の勢力が打倒することが直前に述べられている(10節)。さらに「叫び声」や「血に飢える」(11節)など、この章の後半ではアエーシュマに所属するさまざまな「不義」な行為が並べられ、それが終末時にアフラ・マズダーによって打ち倒されることが運命付けられていることが述べられている。

 以上が『ガーサー』に述べられているアエーシュマの性質であるが、後期の文書でももちろんアエーシュマの悪事は多く語られている。
 ヤスナ第九章「ホーム・ヤシュト」は、ゾロアスター教における聖なる飲料ハオマについての賛歌である。ここでは、人間のうち初めてハオマを搾ったウィーワフワントが、そのために息子イマを生むことができた、という神話がまず語られる。次に、次にアースヴヤがハオマを搾った。すると、その恩恵としてゾロアスター教随一の英雄スラエータオナが生まれた。ついでスリタがハオマを搾った。すると、ウルワークシャヤと、こちらも高名な英雄であるクルサースパが生まれた。ウルワークシャヤは祭祀・司法を、クルサースパは「棍棒の持ち主」にして戦闘をつかさどる人物となった。
 このようなハオマは、インドのソーマに対応する、(いちおうは)酒の一種だった。しかし「ホーム・ヤシュト」2.8では通常の酒は「血塗れの棍棒をもつアエーシュマ」を同伴するのに対し、ハオマは「悦びを与えるアシャ」を同伴するとされ、ハオマのみはゾロアスター教祭儀に必要なものだとされるようになっている。ハオマ以外の酒を使用して「凶暴」になることは、アエーシュマの勢力を増大させることになるのである。

 スラオシャは、アエーシュマの最大の天敵である(ヤスナ第57章第25節)。また、ワズラ(インドでいうヴァジュラ)を持つミスラもこの魔の敵であるとされる。

 アエーシュマの名前は『ガーサー』の時点で悪魔を意味する固有名詞として知られている唯一のものである(アカ・マナフやドゥルジなどは概念である)。ザラスシュトラは、旧来の神々であるミスラやアナーヒター、アータル、ティシュトリヤ、サルワ、インドラ、ノーンハスヤ、ウルスラグナなどはあえて自らの作になる賛歌『ガーサー』に歌いこまなかったが、だからといってそれらの存在を「悪魔化」したわけでもなかった(これらの神々は、のちの『ウィーデーウダード』と『ヤシュト』で袂を分かつことになる。ダエーワの項目参照)。しかしアエーシュマだけは、悪魔として『ガーサー』本体に名を連ねているのである。
 このことは、アエーシュマが、ザラスシュトラたちがまず第一に悪魔として否定しなければならなかった存在であることを意味する。『アヴェスター』にみられる重要な悪魔は、ほかには『ヤスナ』と『ヤシュト』に見られるアジ・ダハーカ、『ウィーデーウダード』のインドラ、サルワ、ノーンハスヤなどがいる。このうちアジ・ダハーカはインド・イラン共通時代から戦闘神に倒される蛇だったと推定されるので、ザラスシュトラによって悪魔化された存在ではないと考えられる。『ウィーデーウダード』に見られるインド・イラン時代の神々=悪魔はインドラ、サルワ、ノーンハスヤの3体である。このうちインドラはそのままヴェーダの戦闘神インドラだが、サルワはシャルヴァ、ノーンハスヤはナーサティヤ双神のことである。シャルヴァもナーサティヤ双神も、戦闘神としての役割が重要であった。
 これらの神々は、ザラスシュトラ以前は「マルヤ」という若者たちの宗教的戦士結社によっておもに崇拝されていた。マルヤたちはハオマではない普通の酒を祭儀で用い、そしてジャヒカー女たちと自由な性交渉をおこない、叫び声を上げ、狂乱のうちに神々に祈りを捧げ、おそらくは棍棒で牛を撲殺するようなかたちで生贄を捧げていたのだと思われる。クルサースパの竜退治も本来はマルヤたち戦士の間で伝承されていた神話だった。アエーシュマという言葉も、ザラスシュトラ以前はおそらくはこの種の「狂乱」やマルヤたちの性格である「凶暴」、普通の酒によって引き起こされる「酩酊」を意味する用語だった。しかしザラスシュトラはマルヤたちによるこのような宗教結社をまず第一に排除の対象としたため、アエーシュマが第一に『ガーサー』でさえ名前を呼ばれる悪魔となったのである。そしてその属性として、マルヤたちの「血塗られた棍棒」で牛を残虐に苦しめる性格が賦与された。クルサースパがアエーシュマと同じく棍棒を武器としているのは偶然ではなく、クルサースパ自身も完全無欠な英雄ではなくて、聖火を汚した存在として罪を説かれているのである(ついでながら、ヘラクレスの武器が棍棒だというのも無縁な神話ではない)。このマルヤという集団先にあげたカラパン僧などと並んで「敵」とみなされているが、「四足の狼」と並んで称されてもいる。おそらくこの戦士結社には、北欧のベルセルクやロシアのフセスラフ公などと同じ、戦闘時には肉食獣に変身するという人狼伝承が知られていたのだろう(資料/43: )。
 なお、ザラスシュトラのころからインドラやサルワなども悪魔化されていたと思われる。しかし、倫理的な宗教としてあまり具体名を出すのを避けた『ガーサー』にはそのような神格~悪魔の名前は見られない。西イランの影響が見られる『ウィーデーウダート』でこれらの存在はアエーシュマと並び、初めて名前を見せるようになった。

 なお、「悪魔アエーシュマ」を意味する「アエーシュマ・ダエーワ」(ヘーシュム・デーウ)は旧約聖書外典『トビト書』に見える悪魔アスモデウス(セプトゥアギンタではアスモダイオス)の起源であると考えられているが、一部反論もある(「アエーシュマ・ダエーワ」なることばが現実には一切見られないこと、など)[412: 193n27]。

関連項目


参考資料 - 資料/32:;資料/43:;資料/12; 資料/7; 資料/60:


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2010-06-28 (月) 06:03:33 (4132d)