ミーラ

Mira

地域・文化:ギリシア


 運命の女神。

 古代ギリシアには、もともとモイラ(Μοῖρα/Moira)、モロス(Μόρος/Moros)、アイサ(Αἴσα/Aisa)「部分、分け前、分配されたもの」という意味の言葉があった。これらの概念は、人間が避けようとしても決して避けることのできない、すべてを支配する高次の力であるとされ、人々は運命によってそれぞれに定められた「分け前」に従い生きるものだと考えられていた。ホメロスの時代にこの抽象的な概念の人格化が始まり、モイラ(複数形モイライΜοῖραι/Moirai)は女性の神格であるとされるようになった。とくに有名なのが3人のモイライであるクロトとラケシスとアトロポスである。
 しかし民間信仰のなかでモイラたちが崇拝されていた事実はほとんど知られていない。

 この運命の女神たちは、現代のギリシアではミーラと呼ばれている。
 ミーラはつねに三人連れで現れる老婆で、世界の中心にそびえる山(オリンポス山)の上に住居がある。洞穴に住んでいて、そこからどこへでも飛んでいくという伝承もある。また、ザキュントス島では12人、アイギナ島では40人であると伝えられている。この三人のうちの一人がリーダーで、特別に年長で名誉ある地位を占めている。
 ミーラたちは、生後3日経った赤ん坊のゆりかごの元へ行き、その子供の運命を定める。人生にとってこの瞬間が最も重要なときだと考えられるので、人々はこの運命の女神たちを歓待するために多くの準備を行う。家をきれいにし、障害物をどけ、犬を鎖につなぎ、ドアは少しだけ開ける。食事や飲み物を用意し、家の財宝を陳列する。なぜなら、それは「自分たちはミーラを歓待するのに惜しむことがない」という意味だからである。また、当の赤ん坊もきれいに体を現れ、ベッドに寝かされる。もし汚いままだと運命の女神たちが「ふん、炎がこの子を焼き尽くすがいい!」と叫んで立ち去ってしまい、そのすぐあと、子供が死んでしまうからである。生後3日ではなく5日という地方もある。準備が整えられた家にミーラたちがやってくる。その姿は見えず、声もほとんど聞こえない。まず、年少の2人が赤ん坊の運命についてあれこれ言う。最年長のミーラがその2人の意見をまとめ、却下するか採用する。注意深くしていれば、産婆や産婦がその決定を耳にすることもできる。運命が決まると、「運命の書」にそれが書き込まれる。また、ミーラたちはそのとき子供の顔(額や鼻の上)に運命の定めを書き付ける。白い斑点は幸せの前兆で、黒い斑点は災いを意味するともいう。
 ミーラは、伝承によってはこの後もずっとその人の守護霊、または運命の実行者としてつきまといつづけるとも言われる。幸運な人のミーラはその人をできるだけ幸せにするが、不運な人のミーラはその人をどん底に突き落とすのである。
 この女神たちははモイライのように紡ぎ女であるとされることもあった。それによれば最年長の一人がはさみを持っており、糸を断ち切ることによってその人の人生が終わる。

 ミーラが活躍するのは誕生のときばかりではない。19世紀、アテネでは乙女たちがハンサムな若者をゲットできるように新月の第一夜に食料をささげた。また、同様に誰かと結婚したい女性は「親切なミーレ」に食料をささげたという。

関連項目


参考資料 - 資料/188:


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Last-modified: 2010-06-28 (月) 06:02:20