ビーシュパールン†
Bīš-pārn
byš-p'rn
地域・文化:バクトリア
6世紀ごろのものと思われるバクトリアのバルフ出土のパルティア語マニ教文書にその名が見えるヤクシャ。パルティア語ではビーシュパールンだが、推定される原語は../ヴィシュヴァパーニである。
この文書(護符)は「汝の名において、汝の意を通して、汝の命令と汝の力を通して、主なるイエス・キリスト。主なるマニ、贖い主(anǰīwag)、神々の使徒(yazdān frēštag)、すべての悪魔と闇の諸力を打ち倒す、称賛され祝福された者の名において、云々」と始まり、四大天使とユダヤ伝統の天使たちがイランやインドの悪魔たちを打ち倒すために召喚され、最後に祓魔されるヤクシャたちの名が現れる。
ビーシュパールンは一日の第四の時を支配するとされ、二万の息子がいて、塩味のものを食べ、ペシャワール(プルシャプラ)を支配しているという。
W・B・ヘニングやハンス=J・クリムカイトは、こうしたヤクシャの羅列は仏教の孔雀明王系経典*1とかなり近いとして、バクトリアにおけるマニ教と仏教のシンクレティズムの一例であると指摘している。
関連項目†
参考資料 - 資料/579:47-53; 資料/567:230-231; 資料/872:139