ヒッパレクトリュオン

Hippalektryōn
Ἱππαλεκτρυων

地域・文化:古代ギリシア


 ヒッパレクトリュオーン。
 頭と前脚が馬で、胴と後ろ足と尾が鶏の鳥。彫刻や絵画など美術上では表現されているものの、その神話は知られていない。
 ヒッパレクトリュオン、「馬鶏」「馬の鶏」「雄鶏馬」(以上すべて高津春繁訳)という言葉はアイスキュロスの散逸した悲劇『ミュルミドン人』に現れる。しかし、喜劇詩人のアリストパネスはその言葉のよくわからない曖昧さ、想像される姿の滑稽さから、何度かこの言葉を揶揄に使っている。そもそも、アイスキュロスは「あめ色の」「栗毛の」という言葉をヒッパレクトリュオンの形容に使っていた。しかし原文ではxuthosというこの言葉は「黄色の、あめ色の」とともに「鋭い声の」という意味にもとれる。さらにヒッパレクトリュオン自体も「鶏馬」とも「鶏の馬のごときもの」とも理解できるのである。要するにクストスなヒッパレクトリュオンというのは意味がよくわからない言葉なので、アリストパネスはこれを揶揄に使っているのである。
 『平和』1175では、ヒッパレクトリュオンは「とさか」がある姿であるとしている。『鳥』800では容姿の揶揄に使われている。
 『蛙』929は、冥界で、ディオニュソスの裁定により詩人のエウリピデスとアイスキュロスが、どちらの詩才が優れているかを討論している(口げんかしている?)箇所である。そして、そこでは、アリストパネスはアイスキュロスそのものの揶揄にヒッパレクトリュオンを使っている。
 エウリピデスは、アイスキュロスが何でもかんでもわけのわからない難解な言葉を使っていることをあげつらう。「なんでもかんでもスカマンドロス河だ、濠だ、楯の上の青銅浮彫のグリフィン鷲だ、騎士的到天的高言だ、七むずかしくてわけのわからぬ」。ヒッパレクトリュオンやトラゲラポス(牡山羊鹿)など「ペルシアの壁掛用動物だよ」と馬鹿にする。それに応じてディオニュソスも、「あめ色の雄鶏馬とはいったいどういう鳥だろうか」徹夜して考えたと言っている。アイスキュロスはそれを「船に彫りつけられた目印」であるという。
 ディオニュソスが「どういう鳥だろうか」言っていることや、エウリピデスが「いったい雄鶏は悲劇のなかに持ち込むべきものだろうか」と言っていることから、ヒッパレクトリュオンが鳥だと考えられていたらしいことがわかる。

関連項目


参考資料 -


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