鳳凰

Houou
voŋɣuɑŋ

地域・文化:漢字文化圏


 鳥類の王。もっとも高貴で神的な鳥であるとされる。
 『山海経』の南山経では、首の模様が「徳」であり、翼の模様が「義」であり、背中の模様が「礼」、胸の模様が「仁」、腹の模様が「信」であるという。

日本

 日本では、もっぱら美術の意匠として鳳凰が用いられることが多い。とくに仏教美術と結びついていることが多いのだが(たとえば平等院鳳凰堂)、鳳凰自体は中国起源であり、仏教と関係がないように思われる。それでは、なぜそんなに仏教と強いつながりを持つようになったのだろうか? 現在調査中。

 日本での鳳凰の目撃例は、同じ霊獣である../竜と比較するときわめて少ない。ただし探してみると、いくつかそれらしき出現例がみつかる(現在7例発見)。知名度が高いのは、愛知県にある鳳来寺の名前の由来伝説だろうか。とにかく../麒麟よりは多いかもしれない。また、民間伝承で鳳凰のことが語られている事例もないわけではない。

 『泉州志』(元禄十三年/1700)によると、現・大阪府堺市にある鉢峯の神社縁起には、垂仁天皇8年に、天照太神が鳳凰の姿をとって現れた、と書かれているらしい。そのとき降り立ったのは襲峯(おそいのみね)とも小倉峯とも上野峯ともいう。垂仁天皇の皇子が登り、その化した跡を礼拝した。景行天皇24年には神託によって武内宿祢が社を営した。同55年には神鳳が千種森に移り、今(元禄年間)でいう大鳥之社はこれであるという*1(『和漢三才図会』巻第七十六「泉州」鉢峰神社の条にも引用)。

 芥川龍之介(1892-1927)が小学生のころの記憶として、父親が語るには、父親の隣人の某がちょうど元日の明け方に、空を白い鳳凰が一羽だけ中津(現在の中洲)のほうへと飛んでいくのを見たことがある、と言っていた、というのを書きとめている。しかし父親によると、その人はでたらめを言う人だったらしい。芥川龍之介は東京本所(現在の墨田区)に生まれ育った人だから、おおよそ東から西へと飛んでいったことになるのだろうか。
 著作権も切れているので、原文を初出の『文芸春秋』からひっぱっておく*2。現在では『追憶』という作品の一節となっている*3

 ……唯未だに可笑しいのは雉の剝製を貰つた時、父が僕に言つた言葉である。
 「昔、うちの隣にゐた××××(この名前は覺えてゐない)と云ふ人は丁度元日のしらしら明けの空を白い鳳凰がたつた一羽、中津の方へ飛んで行くのを見たことがあると言つてゐたよ。尤出たらめを云ふ人だつたがね。」

関連項目


参考資料 -


*1 資料/890:359
*2 資料/661
*3 資料/662:287-288。

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