*鳳凰 [#d0b0489a]
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地域・文化:漢字文化圏

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 鳥類の王。もっとも高貴で神的な鳥であるとされる。~
 『山海経』の南山経では、首の模様が「徳」であり、翼の模様が「義」であり、背中の模様が「礼」、胸の模様が「仁」、腹の模様が「信」であるという。

***日本 [#n8bae333]
 日本での鳳凰の目撃例は、同じ霊獣である[[../竜]]と比較するときわめて少ない。ただし探してみると、いくつかそれらしき出現例がみつかる(現在5例発見)。知名度が高いのは、愛知県にある鳳来寺の名前の由来伝説だろうか。とにかく[[../麒麟]]よりは多いかもしれない。また、民間伝承で鳳凰のことが語られている事例もないわけではない。

 『泉州志』(元禄十三年/1700)によると、現・大阪府堺市にある鉢峯の神社縁起には、垂仁天皇8年に、天照太神が鳳凰の姿をとって現れた、と書かれているらしい。そのとき降り立ったのは襲峯(おそいのみね)とも小倉峯とも上野峯ともいう。垂仁天皇の皇子が登り、その化した跡を礼拝した。景行天皇24年には神託によって武内宿祢が社を営した。同55年には神鳳が千種森に移り、今(元禄年間)でいう大鳥之社はこれであるという(([[資料/890]]:359))(『和漢三才図会』巻第七十六「泉州」鉢峰神社の条にも引用)。

//先夜白石老人物語に候。先年常陸の鹿島の社へ鳳凰来義と申こと有之候。其様子承候処、一夕夜深てさわさわと社も鳴動仕候て暫く有之。何かは不分明に候へども、広庭の中ひしと宝珠の如く成もの敷候。光輝申候。やや有てのし申と見へ、又最前の如く鳴動有之。右の珠一所により候様に見え候て、飛去申候。怪異の義と社人ども駭候て鳳凰なとと申義は存もよらす。翌日託宣を上候処、神詫に、夜和え鳳凰来賓嬉しく被思召//との義候。私なと、孔雀のやうなる物とまて心得罷在候。夥しき体の物と見え申候。是に付存候へは、聖人の礼楽等のことも、中々常任の推量候とは各別耳目を驚し申義たるへきと有候。聖徳に感候て来儀の鳥に候へは、さそ場を取候て、見事なるものたるへく候。是にて凡聖人の代の文物赫々光大なること推量候て、右の咄関心仕候て申つかはし候
//正徳五年五月六日先生御手紙
//「鳩巢小説」巻之下 (289-484)
//近藤瓶城(編) 昭和5年 『續史籍集覽 第六冊』pp.481-482 近藤出版部

 芥川龍之介(1892-1927)が小学生のころの記憶として、父親が語るには、父親の隣人の某がちょうど元日の明け方に、空を白い鳳凰が一羽だけ中津(現在の中洲)のほうへと飛んでいくのを見たことがある、と言っていた、というのを書きとめている。しかし父親によると、その人はでたらめを言う人だったらしい。芥川龍之介は東京本所(現在の墨田区)に生まれ育った人だから、おおよそ東から西へと飛んでいったことになるのだろうか。~
 著作権も切れているので、原文を初出の『文芸春秋』からひっぱっておく(([[資料/661]]。))。現在では『追憶』という作品の一節となっている(([[資料/662]]:287-288。))。

 ……唯未だに可笑しいのは雉の剝製を貰つた時、父が僕に言つた言葉である。~
 「昔、うちの隣にゐた××××(この名前は覺えてゐない)と云ふ人は丁度元日のしらしら明けの空を白い鳳凰がたつた一羽、中津の方へ飛んで行くのを見たことがあると言つてゐたよ。尤出たらめを云ふ人だつたがね。」
**関連項目 [#ndde496f]
-[[../鸞鳥]]、[[../鶉鳥]]、[[北アジア/ホフデイ]]

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参考資料 -

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