*麒麟 [#t97f7b92] CENTER:&size(25){上古gərin, 後漢gɨəlin、中古音gjɨljen、拼音qílín、ヘボン式Kirin&br;きりん}; 地域・文化:漢字文化圏 ---- 英語だとKirniとなっていることが多いが、これはKirinの誤植。古いものではバートンによるアラビアン・ナイトの注釈からインターネットの幻獣辞典に至るまで、直ってないのが多い。 瑞獣の一種(現われると世の中が平和になるという幻獣)。360種の獣の長である。~ その身体は全体的には鹿のようで、頭に角がある。そして、その角には肉球のようなものがついている。体の色は五彩で、腹の下は黄色である。頭が竜のように描かれていることもある。~ その性質は穏やかで非常にかしこく、生きた虫を踏まず、生きている草も踏まない。 麒麟は、麒と麟の2種類をあわせたものである、という考え方もある。『三才図会』では麒麟の雌を麒といい、麒麟の雄を麟である、としている(逆の説もある)。また、角があるのが麟で、角がないのが麒である、ともいう。『五雑狙』では、獣の中で最も「仁」なのは麟だとしている。 『淮南子』には麒麟が戦うと日月食が起こるとある。 **日本での例 [#y8c6930c] 日本に麒麟が出現した公式例は、管見では見つかっていない。『日本書紀』には麒麟の角と思しきものが見つかった話があり、また一般人が麒麟らしき話を見たという逸話も伝わっている。ただし他に日本に麒麟がいたことを示す文献は未だ見つけ切れていない。化政期の随筆『我衣』巻11から後者の事例を紹介しておく。 今(文化13年/1816)から20年以上前のこと。江戸は本郷五丁目に住んでいた伊勢屋吉兵衛という男が物干しで昼寝し、空をながめていた。その日は実に晴天で、雲一つなく晴れ渡っていた。すると、東のほうから空を飛んでくるものがあった。どのくらいの高度だったかはわからなかったが、形状ははっきりと確認できた。四本足の獣で、尾は馬のようだった。どうも絵画に見るところの麒麟のようなもので、それが悠々と空を歩んでいたのである。誰か呼んで見せようと思ったが、あいにく近くには誰もいなかったので、そのまま一人で眺めつづけていた。この動物は北西のほうへと向かい、次第に見えなくなっていったという(([[資料/916]]:347.))。 「今[文化13年/1816]から20年以上前のこと。江戸は本郷五丁目に住んでいた伊勢屋吉兵衛という男が物干しで昼寝し、空をながめていた。その日は実に晴天で、雲一つなく晴れ渡っていた。すると、東のほうから空を飛んでくるものがあった。どのくらいの高度だったかはわからなかったが、形状ははっきりと確認できた。四本足の獣で、尾は馬のようだった。どうも絵画に見るところの麒麟のようなもので、それが悠々と空を歩んでいたのである。誰か呼んで見せようと思ったが、あいにく近くには誰もいなかったので、そのまま一人で眺めつづけていた。この動物は北西のほうへと向かい、次第に見えなくなっていったという」(([[資料/916]]:347.))。 また、明治16年(1883)4月25日付『日本立憲政党新聞』には、但馬国朝来郡の山口駅あたりで麒麟に似た動物が捕らえられた、という記事がある(湯本豪一『明治期怪異妖怪記事資料集成』参照)。 **関連項目 [#ndde496f] -[[中央アジア/クアト]] -[[キーワード/聖獣]]、[[キーワード/蝕]] ---- 参考資料 - [[資料/152]]