*馬鹿 [#d0b0489a]
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地域・文化:日本・岡山

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 備前の国に伝わる海の大魚。

 高木太亮軒が著した『和気絹』(宝永6年=1709年)の上巻「邑久郡」によると、福里村というところに馬塚というものがある。盛衰記によると、むかし備前の国には武勇で名の知られた海の佐介という武者がいた。西海の敵を鎮めるために官軍とともに海を渡ったが、彼らが船に乗っていたのに対し、佐助は馬に乗りながら、そのまま先陣にて渡っていた。しばらくして逆賊どもを鎮圧し、ふたたび馬に乗って海面を歩みながら本国に帰ったが、備前領の海上で馬鹿という魚が馬を襲撃した。馬は少しもひるまずに主人を陸に下ろし、しかしのち、馬は斃れた。このところに馬を埋め、堂を建てて供養がなされた。これを今、馬塚という。当時の人の評判では、馬はじつは竜だったのだ、佐介はさすが凡人ではなかった、とのことだった(([[資料/481]]:39.))。
 高木太亮軒が著した『和気絹』(宝永6年/1709)の上巻「邑久郡」によると、福里村というところに馬塚というものがある。盛衰記によると、むかし備前の国には武勇で名の知られた海の佐介という武者がいた。西海の敵を鎮めるために官軍とともに海を渡ったが、彼らが船に乗っていたのに対し、佐助は馬に乗りながら、そのまま先陣にて渡っていた。しばらくして逆賊どもを鎮圧し、ふたたび馬に乗って海面を歩みながら本国に帰ったが、備前領の海上で馬鹿という魚が馬を襲撃した。馬は少しもひるまずに主人を陸に下ろし、しかしのち、馬は斃れた。このところに馬を埋め、堂を建てて供養がなされた。これを今、馬塚という。当時の人の評判では、馬はじつは竜だったのだ、佐介はさすが凡人ではなかった、とのことだった(([[資料/481]]:39.))。
**関連項目 [#ndde496f]
-[[../海鹿]]

-[[キーワード/魚]]
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参考資料 -

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