*ミクロコスムス [#ca547621]
CENTER:&size(25){Microcosmus};

地域・文化:近代博物学

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 ミクロコスムス・マリヌス(microcosmus marinus)。~
 リンネが北欧の巨大な海の怪物([[クラーケン>北欧/クラーケン]]の仲間)に与えた学名。~
 本来は地中海のホヤの一種のことだったが、リンネの勘違いのせいで、海の怪物にもこの学名が適用されてしまった。後のリンネの著作ではなかったことにされている。

 もともとは、イタリアの博物学者フランチェスコ・レディが1684年に地中海のホヤの一種についてイタリア語で「岩のようにゴツゴツしていて、小さな草木が生えているような姿をしている……これはまさに海のなかの小さな世界である(Microcosmo marino)」と記述したことに由来する(([[資料/1031]]:60-62.))。~
 しかしどういうわけか、リンネはこの動物を北欧に伝承されていた超巨大な塊のような海の怪物と同一種とみなし、ミクロコスムス・マリヌスという(プレ)学名を与えてしまった((cf. [[資料/1030]]:386.))。おそらく彼はレディの記述を勘違いして、本当に草木が根付くほど巨大な生き物だと読んでしまったのだろう。レディの著作に付された図も、そのような怪物を描いていると見えなくもない(しかし、ちゃんとレディの記述を読めば、これが小サイズの動物だということは一目瞭然である)。両者が実際には違うということは、1761年には指摘されている(([[資料/1035]].))。~
 また、リンネが北欧の怪物についての報告として参照した文献は二つあったが、それぞれハーヴグーヴァおよびセークラッベという名のもとに[[クラーケン>北欧/クラーケン]]とよく似た伝説を紹介している(([[資料/1033]]:175-176; [[資料/1029]].))。~
 この名称が最初に登場するのはおそらく『自然の体系』初版(1735)で(([[資料/1036]]:12.))、途中に彼の『スウェーデンの動物相』(1746)を挟んで(([[資料/1030]]:386.))『体系』第9版(1756)まで記載されていたが(([[資料/1037]]:82.))、分類学を確立したといわれる第10版(1758)以降は削除されている。リンネは『スウェーデンの動物相』のなかで「ノルウェーの海にいるらしいが、私は見たことがない」と注記しており、この時点で実在性について多少は疑っていたようである。~
 リンネがミクロコスムス・マリヌスと命名したのは「クラーケン」が文献に初めて登場する年代(ポントピダンの『ノルウェー博物誌』1753)よりも先であり、彼がクラーケンに学名を与えたとするのは正確ではない。しかし『ノルウェー博物誌』が出版されるとすぐに何人かが「これはリンネのいうミクロコスムスだろう」と指摘した記録が残っており(そのうち一つはリンネ宛の書簡!)、実質的にはリンネがクラーケンに当たる生物に学名を与えたかっこうになってしまった(([[資料/1034]]:479-480; [[資料/1035]]:145-147.))。
**動物学における位置 [#ua251c41]
 リンネは『自然の体系』初版ではミクロコスムスを動物界・蠕虫綱(vermes)・植虫目(zoophyta)に入れている。植虫目には、ほかにメリベ(ウミウシの一種)、ヒトデ、クラゲ、イカなど、今でいう海の軟体動物がまとめられている。しかし後にリンネはミクロコスムスの位置づけを貝目(testacea)に変えた。理由はわからない。そして上記のように、第10版以降は削除された。~
 19世紀初め、博物学者ジョルジュ・キュヴィエが(リンネの混同に突っ込みをいれつつ)適切にもホヤの一種としてミクロコスムスという名称を用い(([[資料/1038]].))、それを受け継いだ動物学者ジュール・セザール・サヴィニーが分類体系を確立することで(([[資料/1039]]:144-146.))、現在にいたるまでミクロコスムスという学名は脊索動物門・尾索動物亜門・ホヤ綱・壁性目・マボヤ科に属する生物として位置づけられている。
**日本での伝承 [#b5207479]
 面白いことに、ミクロコスムスの話は18世紀後半の日本にも伝わっていた。『紅毛雑話』(1787)巻一に、「北溟に魚あり、その名をミコラコスニュスといふ」とあるのだ(最後のmをnと取り違えたためにこのカナ表記になったと思われる)。~
 それによると、安永年間(1772-1780)に来日したあるオランダ人(「フレーデリキ・シキンデラル」)が語ったこととして、彼が(?)北方の海を航行していたとき、島に遭遇した。周囲はおよそ三里ほどのように見え、船を接岸して上陸してみると、草木もなければ川も水もなかった。船から鍋や釜を持ち込んで火を焚き調理をし、食べ終わってふたたび乗船してからこの島を二、三十里ほど離れると、突如大きな渦巻が発生した。どうしたことかと思ってみてみると、先ほどまでいた島が「きりきりと」回転して、海中へと没したので、これをみた乗員は誰もが驚いた。これがいわゆる大魚ミコラコスニュスのことなのだろう、と彼らは語り合った。この魚の背中が海上に露出していたのを島と見間違え、上陸してしまったのである。~
 『紅毛雑話』はさらにこの魚とアイヌ伝承の巨魚[[オキナ>日本/オキナ]]を比較して、「これらもミコラコスニュスの類なるべし」と書いている。

//**日本での伝承 [#b5207479]
// 面白いことに、ミクロコスムスの話は18世紀後半の日本にも伝わっていた。『紅毛雑話』(1787)巻一に、「北溟に魚あり、その名をミコラコスニュスといふ」とあるのだ(最後のmをnと取り違えたためにこのカナ表記になったと思われる)。~
// それによると、安永年間(1772-1780)に来日したあるオランダ人(「フレーデリキ・シキンデラル」)が語ったこととして、彼が(?)北方の海を航行していたとき、島に遭遇した。周囲はおよそ三里ほどのように見え、船を接岸して上陸してみると、草木もなければ川も水もなかった。船から鍋や釜を持ち込んで火を焚き調理をし、食べ終わってふたたび乗船してからこの島を二、三十里ほど離れると、突如大きな渦巻が発生した。どうしたことかと思ってみてみると、先ほどまでいた島が「きりきりと」回転して、海中へと没したので、これをみた乗員は誰もが驚いた。これがいわゆる大魚ミコラコスニュスのことなのだろう、と彼らは語り合った。この魚の背中が海上に露出していたのを島と見間違え、上陸してしまったのである。~
// 『紅毛雑話』はさらにこの魚とアイヌ伝承の巨魚[[オキナ>日本/オキナ]]を比較して、「これらもミコラコスニュスの類なるべし」と書いている。

**関連項目 [#h76b8200]
-[[北欧/クラーケン]]

-[[キーワード/]]
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参考資料 - [[資料/]]

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