ヒッパレクトリュオン†Hippalektryōn
Ἱππαλεκτρυών 地域・文化:古代ギリシア ヒッパレクトリュオーン。 ヒッパレクトリュオン、「馬鶏」「馬の鶏」「雄鶏馬」(以上すべて高津春繁訳)という言葉はアイスキュロスの散逸した悲劇『ミュルミドン』に現れる。「金色のヒッパレクトリュオンが、顔料で描かれた苦心の作が、溶けて流れる」(断片134)*1。この引用は後述するアリストパネスの各行につけられたスコリアにあるもので、詳しい文脈はわかっていないが、アリストパネスによるならば、おそらくギリシア軍の船にヒッパレクトリュオンの紋章があり、それがヘクトルの放った火によって焼かれ、流れ落ちていったという描写なのだろうとされている*2。 喜劇詩人のアリストパネスはその言葉のよくわからない曖昧さ、想像される姿の滑稽さから、何度かこの言葉を揶揄に使っている。そもそもアイスキュロスは「あめ色の」「栗毛の」という言葉をヒッパレクトリュオンの形容に使っていた。しかし原文ではxuthosというこの言葉は「黄色の、あめ色の」とともに「鋭い声の」という意味にもとれる。さらにヒッパレクトリュオン自体も「鶏馬」とも「鶏の馬のごときもの」とも理解できるのである。要するにクストスなヒッパレクトリュオンというのは意味がよくわからない言葉なので、アリストパネスはこれを揶揄に使っているのだ。 『平和』1175では、ヒッパレクトリュオンは「とさか」がある姿であるとしている。『鳥』800では容姿の揶揄に使われている。 ディオニュソスが「どういう鳥だろうか」言っていることや、エウリピデスが「いったい雄鶏は悲劇のなかに持ち込むべきものだろうか」と言っていることから、ヒッパレクトリュオンが鳥だと考えられていたらしいことがわかる。 関連項目†参考資料 - |