蛇魔

Jama

地域・文化:中国・キリスト教、太平天国


 中国人キリスト教徒の梁阿発(1789-1855)が著した布教用パンフレット『勧世良言』にみえる、エデンの園の蛇のこと。
 梁阿発は、19世紀初頭にイギリスからやってきて中国でキリスト教の布教を行なったロバート・モリソンの弟子である。のちに洪秀全が『勧世良言』を読み、しばらくしてからキリスト教に改宗。そして太平天国を打ちたて、いわゆる「太平天国の乱」が勃発したという経緯がある。

 『勧世良言』第1巻は次のような文章で始まる。
 「さて神爺エホバ[神爺火華]の造った田野のさまざまの獣で、その蛇はもっとも狡かった。邪神が変じて蛇魔となっていたのであって、その女に向かって言った。お前は園内の悪を知る樹の果実を決して食べてはいけないと、こういうことを、じっさいに神爺エホバが言ったのか。」(柳父章訳*1
 梁阿発のこの文章は、師モリソンが英語から翻訳した中国語訳聖書『神天聖書』にほとんど依拠しているが、本項の主題となる「邪神が変じて蛇魔となっていたのであって、」(原文は邪神変為蛇魔)というところはモリソン訳聖書にはない。もちろん、該当する箇所であるヘブライ語の旧約聖書『創世記』第3章にもそのようなことは書かれていないし、その他の聖書翻訳にもみられないものである。……ただし後世のキリスト教ではしばしば見られる思想であって、たとえば『ヨハネの黙示録』12章にも「古き蛇」と「サタン」は同一の存在である、ということが明示されている。
 梁阿発はさらに竿頭一歩すすめ、蛇魔によって人類にあらゆる苦しみや災難がふりかかるようになった、というように説明している(同書、第1巻第2章)。また評論家の柳父章は、邪であることから、形式上は爺エホバと同等の存在になりおおせている、とも読み取れる。そして梁阿発が、人類の罪はキリスト教正統思想のように人々のうちにあるものではなく蛇魔にもたらされた外部的なものである、と理解しているところに彼の中国伝統思想(たとえば儒教の性善説)の影響が読み取れ、そしてまたキリスト教としては「違う」理解になってしまっている、と指摘している。「言わばヨーロッパと中国との二つの文明のはざまに生み出された第三のことば、新しいことば」*2だったのである。

 洪秀全は太平天国運動初期の著作『原道覚世訓』において、キリスト教的な「偶像」、すなわち旧来の仏教や道教民間信仰などにおける神仏の彫像などを崇拝する人々が「魔鬼に霊心をくらまされ、蛇魔閻羅妖にからめとられた」状態にある、と述べた。洪秀全の思想においては、人々はみな上帝の子女であり、かつ、蛇魔閻羅妖と対決する存在であった。『原道覚世訓』によれば、邪神(=蛇魔)を盲信するものは妖鬼の手下にかえられてしまい、生前も死後も鬼に束縛され、死後は永遠に地獄の責め苦を受けるという。それと対照的に皇上帝を敬拝すると天井で永遠に幸福を享受する、という。
 洪秀全の宗教では蛇魔はほかに妖魔、魔鬼、邪神、老蛇とも呼ばれ、上帝の反対者である。歴代の皇帝はこうした存在を、偶像に過ぎないのに崇め奉り、中国を邪道に導いた、とする(ただしこうした王朝に対する敵対心は最初期の洪秀全にはあまりみられず、『原道覚世訓』以降先鋭化していったようである)。人類における悪や罪は究極にはこの存在からやってくるのであって、人間の自由意志によるものではない。ところで、この点について柳父は「キリスト教のdevilと違って」と言っているが*3、キリスト教における悪魔理解は錯綜していてバリエーションも多く、諸悪の根源として悪魔が措定されるのも珍しいことではない。ただし洪秀全にそうした神学思想が直接・間接に影響を与えたかどうか、というと、系譜的には彼の指摘するとおり梁阿発の『勧世良言』がおそらく決定的な影響を与えたのだろうから、否定的に見るのが妥当だろう。

 以上のことは、思想的・個人的背景を含めて資料/483の第III部「翻訳思想のゆくえ」に詳細に論じられている。

関連項目


参考資料 - 資料/483:195-256


*1 資料/483:197.
*2 Ibid.:207.
*3 Ibid.:217.

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Last-modified: 2010-06-28 (月) 05:58:34 (4351d)