くねくね

地域・文化:日本・2ちゃんねる


概要

 インターネットの掲示板の書き込みによってのみその存在が知られている、よくわからないもの。くねくねは白または黒で、非合理な動きをする(主に関節が。ぐにゃぐにゃ曲がっているわけではない)。夏、主に、都市から離れた水辺で、複数の子供たちの目の前に現われる。見ただけでは何も起こらない。くねくねが何か理解するとそれが説明できない精神状態になってしまう。

歴史~

 確認できる最古の書き込みは、2ちゃんねるオカルト板の2001/07/07(土) 01:28。今は過去ログとしてみることができる(ここの212番目の書き込み)。そして214の書き込みで212を書き込んだ本人がコピペだと言っているので、元ネタがあったことが推測される。しかし214が本当に212と同一人物かどうかはわからないし、本人だとしても物語に信憑性を持たせるための付加価値として書き込んだだけかもしれないので本当に元ネタが「コピペ」できるようなところにあったのかどうかはわからない。03/03/29に、同様の「怖い話」が投稿されている。ここでは「くねくね」という名前がすでにつけられている。
 そして最初の投稿から2年ほど、とくに大きな注目もないまま過ぎていった。しかし、俺は、【ニンゲン】の話が聞きたいのというスレッド(これは1年前の書き込みが発端になっている)の139(書き込み日時は03/06/22 21:09)でニンゲンの幼生とこの怪談の主体に関連があるのではないかという指摘がなされ、逆にこの怪談のほうがクローズアップされることになった。
 139は上記2つに加え、不可解な体験、謎な話~enigma~ Part14の18以降(03/06/14 19:33)も類話に含めている。そしてむしろこちらの類似例のほうをニンゲンと結びつけようとしていた。この海辺の物語は、後にあまり重視されないようになっていく。
 そして、くねくね専用のスレッドが立つ。その名もく ね く ね。日時は03/07/09 16:02。夏休み直前。
 確認しておきたいのは、すべての情報源が2ちゃんねるオカルト板である、ということ。……といってもtoroiaが言いたいのはクネクネの話が嘘であるとか創作であるとかいう意味ではなく、純粋に2ちゃんねる起源であることを強調しておきたいだけである。クネクネについての文章の中に「2ちゃんねる」という言葉がなければそれは適切なソースを当たっていないと言うことであり、信用するに足らない。ただそれだけ。

物語

 ネット上で手軽にくねくねについての実質的一次資料が読める。くねくね目撃事例集は日本のオカルト系ページでおそらく最大規模の2ちゃんねるの怖い話の管理人カレーマニアがまとめたものである。だからあえて以下にある要約を読まなくてもいい(現在、カレーマニアのページは消滅。以下の要約を読んでください)。

 体験者 私→弟→「A君(→お兄さん」→くねくね)
 場所は「田舎」の田んぼのあるところ。A君とお兄さんは田んぼに緑の生い茂っている晴れた日、家の中で遊んでいた。ふと、お兄さんが立ち上がって窓際へと向かった。A君もそれについていった。お兄さんは外を見ていた。A君も視線を合わせてみた。
 その視線の先には、「真っ白な服を着た人」がいた。
 続けてみていると、その人はくねくねと動き始めた。すぐに、その動きはありえない方向へ関節を曲げるなど、不自然なものになった。
 A君は気味が悪くなってお兄さんに、アレは何と問いかけた。お兄さんも分からなかったが、すぐに分かったようだった。しかし、お兄さんはA君にその正体を教えなかった。そしてお兄さんは知的障害になった。

 「田んぼでの目撃例2」では、「兄」は双眼鏡を持って動くものを確認し、別人のようになってしまった。そして祖父が現われ、弟に対して動くものを見ていないか脅迫的に確認し(そして泣き崩れ)、気の狂った兄(くねくねと乱舞している)は祖父母の家に留め置かれた。祖父たちがクネクネの正体を知っていたかどうかはわからない。ただ単に、クネクネを見たことによって(またはそのような状況が考えられる状態において)引き起こされる悲劇を経験的に知っていただけなのかもしれない。

 「田んぼでの目撃例3」では、動くものを発見したのは母親であった。それは黒くカカシのようで、しかし風もないのに四肢を狂ったように動かしていた。とはいえ母もその正体は知らなかったらしい。話者は実際にそれを目撃したが、飲み込まれるような圧倒的な違和感、この世のものとは思えないと感じたという。精神に以上をきたしたものは現われていない。

 「海での目撃例1」では、台風の近づいた海辺を白いものが歩いていた。目撃したのは小学生たち。両手を頭の上で高速で動かしている。すると「Kちゃん」がピーー!と叫び、何度も繰り返し、窓から離れようとしていた。「Kちゃん」は先生に病院に連れて行かれ、戻ってこなかった。
 「海2,3」は浜辺に白いものがいた、という話。「都市」は動作以外は関連はない。

構造とそれの広がりについて

 「田んぼ1」が原型だとすると、くねくねは、何も考えずに見ているうちは恐くも何もないが、それが何か理解すると破局が訪れる存在である、ということになる。つまりくねくね側は「いる」だけであり、それを「発見」し、「解釈」する人間によって解釈する主体自身に怪異が起こるという仕組みになっている。そして解釈した側はその解釈を他者に説明することができない状態になってしまうため、結局それが何かを客観的に理解することは不可能ということになる。
 すべからく怪異・妖怪というものは説明できない/理解できない現象が編集-取捨選択/解釈-具体化されることによって定義づけられ、この事典に収録されるような「名称とキャラクター」「意味と形態」がセットとなって人々の間に伝承されるわけだが、この話の場合、怪異を言葉によって編集/定義すること自体を拒否する構造が特徴的である。そういう構造について、話者は理解するものと理解できないものを併置することにより、古くからある「知る物は死んでしまう」話をメタ的な視点によって語れる仕組みになっており、そこに「死ぬんならなんで知ってるんだよ」系の突っ込みを入れる余地はない。また、見るだけで狂ってしまう存在も古くから多く伝えられているが、それは(見られた側による見た側の意識への直接操作を除けば)その容姿や能力、つまり情報が人間の思考の処理能力を超えている、要するに五感から入力される情報過多で意識がオーバーフローしてしまうことによるものだと考えられ、くねくねの場合、既知・習慣的で確実であるはずの編集/解釈過程で想定外の処理が行われてしまう、つまりバグによって狂ってしまうところが異なる。理解できずに狂うのではなく、理解したから狂う。バグの原因が常にそうであるように、くねくねの正体・条件は現状では想定外でありながら、実際のところは単純にその方向への分岐を考えていなかっただけであるというところに、聞き手(この場合は読者か)の介在する余地が存在している。しかしたとえ聞き手であろうが読者であろうが、想定外の処理というものを発見するにはまず予想される分岐を頭の中で実行しなければならないというのが人間というものの限界であり、限界であるということはこの物語の物語たる所以でもある。
 「理解する」ものが存在し、それが子供であると言うことは我々誰しもがくねくねの正体を知ることができるということを直接的に示唆する。被害者が子供限定であり、「田んぼ2」から想定される「大人は知っている」という推測は、この怪異を客観的に理解できる(たとえば精神疾患をほのめかす語り口を理解できるような)年代の人間にとってみればリスクが少ないと言うことにもつながり、様々な「正体についての仮説」を提示し、それらについて議論する可能性がほぼ無限に広まっていることになる。そして、その「正体」にくねくねの形態・動作・場所・状況・時間がかけあわせることによって初めて狂気の全貌が明らかになる。2ちゃんねらーが提示した様々な仮説については『くねくね』6-6以下を参照。

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       ヽ)∵)ノ
クネクネ――(  (―――!!
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関連項目


参考資料 - URL参照


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Last-modified: 2010-06-28 (月) 05:36:47 (2730d)