竜とドラゴン

ヤトノカミ

物語

 『常陸国風土記』の行方の郡の条に、夜刀(ヤト)の神という蛇の怪物が現れたことが載っている*1。{}内は原文にある注。

 継体天皇の時代(507-531)、箭括(やはず)の氏麻多智(うじまたち)という人物がいて、郡の役所の西のほうにある谷の葦原を開墾し、田んぼを献上した。すると夜刀の神が大群で現れ、仲間が全部やって来た。あちこちで邪魔して工作を妨害した。{土地の言葉で、蛇[虵]のことを夜刀の神という。蛇の姿をしているが角が生えている。家族を引き連れてこの蛇の災いから逃げるときに、振り返ってみる人がいると、一家が全滅して子孫を残すことができなくなる。たいたいこの郡の近くの野原に多く棲んでいる}このことに麻多智は激しく怒り、甲冑をつけてみずから矛を取り、蛇の多くを打ち殺し、追い払った。山の登り口に至り、標(しめ)の梲(うだち)=境界のしるしの柱を堺の堀に置き、夜刀の神に「ここより上は、神の領域とすることを認めよう。ここから下は、人間の田をつくるべきである。今後、私が神主となって、いつまでも敬い奉ることにする。願わくは祟らず、恨むことのないように」と言った。そして神社を造り、初めてこの神を祭った。この祭祀は彼の子孫によって今も続けられていた。
 その後孝徳天皇の時代(645-654)、壬生(みぶ)の連麿(むらじまろ)という人が初めてこの谷を占有し、池の堤防を築かせていたとき、夜刀の神が現れて、池辺のシイの木に登り集まって、いつまで経っても去らなかった。そこで連麿が大声を上げて「この池を営ませ、(蛇たちに)約束をさせて[麻多智が蛇たちに山から下りるなと言ったこと]、人々を死から救おうとしているのだ。何という神が、天皇の徳化に従わないのか」と叫んだ。そしてすぐに、労役の人々に「目に見えるもの、魚、虫の類は、遠慮畏れることなく、ことごとく打ち殺せ」と命じた。それをいい終わるやいなや、神(あや)しき蛇はどこかへ隠れていってしまった。この池を今では椎の井と言っている。

 香島の郡の条にはまた別の蛇の物語がかたられている*2。この蛇も角を持っていると語られているのが興味深い。

 香島の地のどのあたりかの南に、角折(つのおれ)の浜という平原がある。伝え聞くところによると、昔、ここには大蛇がいて、東の海に出ようと思って浜を掘って穴を作っていると、角が折れて落ちてしまった。それゆえにここを角折の浜という。

零落

柳田國男は、「神が零落したのが妖怪だ」と主張した。それに対して小松和彦は、ヤトノカミのように妖怪的存在が祀られることによって神になる事例もある、と反論している。


*1 新編日本古典文学全集5『風土記』、pp.376-379、現代語訳も参考にした。
*2 同上、pp.400-401。

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Last-modified: 2009-08-10 (月) 08:57:17 (3990d)