竜とドラゴン

八岐大蛇

日本神話最大の怪物! スサノヲでさえ眠らせなければ殺せなかった最強の蛇である(スサノヲ自身、神々によってたかって爪を引っこ抜かれるほどだから、あんまり強いわけではないのかも)。

 一口に八岐大蛇神話といっても、微妙な差異を含めたバリエーションは無数に存在する。よく知られているのは箸が流れてくるところから始まる『古事記』上つ巻だが、実は箸が流れてくるというのは『古事記』以外ほとんど知られていない。また、中世になると蛇に酒を飲ませるのにも一工夫が入り、お酒の面に女性を映してそれを食べさせようとして結果酒を飲んでしまう、というものになる。中には、イナダヒメに挿した櫛が蛇となって八岐大蛇と戦うなどというすごい話もある。死後どうなったのかというと、一部では草薙剣を取り返すために安徳天皇に変じて海の中に戻っていったというものもあれば(ここではすでに蛇~海神のラインが前提となっている)、伊吹山大明神になって酒呑童子の親になってしまうという伝説まで存在するのだ。また沖縄に入ってはその土地の祭となって浸透していった。
 『古事記』以前の八岐大蛇神話についてはかなり多くの説があるが、『古事記』以降の、具体的な文献が存在する変奏の多彩さをまずは確認することができれば、八岐大蛇のみならず、神話というものが実に「進化する生き物」であるということが実感されるはずである。

古典

『古事記』上つ巻(712)

 高天原から追放された建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)は、出雲の国の肥の河上、鳥髪というところに降りてきた。箸が川の上流から流れてきたので「人がいるな」と思い訪ねてみると、老人と老女が幼い女性を中央において泣いていた。「汝ら誰ぞ」と問うとその老人は「私は国つ神である大山津見神の息子の足名椎(あしなづち)、妻は手名椎(てなづち)、そして娘は櫛名田比売(くしなだひめ)という」と答えた。また「なぜ泣くのか」と聞いてみると、「もともと八人の娘がいたが、高志之八俣遠呂智(こしのやまたのをろち)が毎年来ては食べていった。最後の一人が今まさに食われようとしているので泣いているのだ」と言われた。そこで須佐之男が遠呂智の形状を尋ねると、眼は赤かがちのようであり、一つの体に尾と頭が八つずつあり、身体にヒカゲ、ヒノキ、杉が生え、長さは八つの峡谷に渡るほどで、腹からはつねに血が滴っているとのことだった。そこで須佐之男が「娘を私にくれないか」と言うと「おそれながら、まだ名前を知らない」と答えた。そこで須佐之男が「私は天照大御神の弟だ」というと畏まり、老夫婦は娘を差し出した。須佐之男は櫛名田比売を櫛に変えて自分の髪に挿し、足名椎と手名椎に、よく醸造した酒を作り、垣根をめぐらし、その垣に八つの門を建て、そして酒船を置き、酒をたくさん入れるように言った。
 そのように準備して待っていると、遠呂智がやってきた。船一つ一つに頭を差し入れ、酒を飲み、酔って寝た。須佐之男は剣をもって蛇を切りまくったが、肥河が血になって流れていった。そのなかの尾を斬ってみると、刃こぼれがする。なんだろうと思って裂いてみると都牟羽之大刀があった。須佐之男はこれを天照大神に献上したが、これを草那芸之大刀(くさなぎのたち)という。

 これが現代日本でもっとも広く知られている、一番オーソドックスな八岐大蛇神話である。基本線はペルセウス・アンドロメダ型神話多頭竜である。その他いくつかの現実的な地理や信仰なども混合しているのだろう。また、日本独特の要素として「尾から宝剣獲得」というものがある。蛇の体内に宝剣があるのである。いったい何でだろう? また、もう一つ気になるのは、尾の数である。頭が多いのは普通だが、尾の数も頭と同じだけあるのはかなり珍しい。普通は頭の数だけ話題になり、尾の数などどうでもいいのである。というか一つである。それは相柳もナーガ黙示録の多頭竜ラドンムシュマッフナーウ・シェスマも同じ。でも、八岐大蛇は尾の数が頭とともに言及される。
 尾の数もそろえている数少ない事例としては、セルビア北東部の伝説によると、三つの頭と三つの尾をもつドラゴンがシュリヤム(Šuljam)近くの洞窟にいた。このドラゴンは、毎日、村から娘を誘拐していた。娘はドラゴンと一夜を過ごすと、朝には老女になってしまっていた(話のオチは引用文献には書かれていなかった)*1

『日本書紀』神代上 第八段(720)

まずは本文。

 素戔嗚命は高天原から追放され、出雲国の簸の川まで来た。すると、川上から泣き声が聞こえてきた。素戔嗚がその声を求めていくと、老人と老婆、一人の少女がそこにいて、老人たちは少女を撫でながら泣いていた。「汝らは誰だ。何で泣いているのだ」と問うと、「私たちは国神(くにつかみ)、名は脚摩乳(あしなづち)。こちらは妻の手摩乳(てなづち)で、この少女は私の娘で、奇稲田姫(くしいなだひめ)という」
 脚摩乳が語るところによれば、もともとこの夫婦には八人の娘がいた。でも、それが毎年一人ずつ「八岐大蛇」(やまたのをろち)によって食べられてしまっていたのだ。そして今や、この最後の一人が呑まれようとしている。どうしようもない。だから泣いているのだ、と。そこで素戔嗚は「もしそうなら、娘を私にくれむや」と言い、老人はそれに応じた。
 素戔嗚は奇稲田姫の姿を変えて湯津爪櫛となし、自分の神に挿した。そして老夫妻には八つの酒を用意させ、仮につくった棚(さずき)を八つ作り、それぞれに酒を入れた容器をセットし、大蛇が来るのを待った。
 時間が来て、大蛇がやってきた。頭と尾、それぞれ八ずつあり、眼は赤酸醤(あかかがち)のように真っ赤であり、松や柏がその背中から生えており、その体は八の丘、八の谷に横たわるほどの巨大な怪物だった。大蛇は酒を見つけると、頭を一つずつ容器のなかにいれて呑み始め……酔って、寝てしまった。そこで素戔嗚が持っていた十握剣(とつかのつるぎ)を抜き、ズタズタに蛇を斬りまくった。尾を切っていると、剣の刃が欠けた。素戔嗚、不思議に思って尾を裂いてみると、そこには一振りの剣があった。これがいわゆる草薙剣(くさなぎのつるぎ)である。
 かくして大蛇をだまし討ちしたうえに宝剣もゲットした素戔嗚は、生き残った奇稲田姫を娶り、幸せに暮らしましたとさ。


 の割注一書に、大蛇の尾から出てきた剣のもとの名は「天叢雲剣」という、とある。そしてその理由は大蛇がいる上にはいつも雲気があった(大蛇所居之上常有雲気)からではないか、とする。
 岩波文庫版の注は、これとかなり似た表現が漢の高祖にも見られることを指摘している。『史記』「高祖本紀第八」に「李所居之上常有雲気」とあるのである。「大蛇」が「李(=漢の高祖)」となっている以外はまったく同じで興味深い。『史記』のこの箇所は、秦の始皇帝が「東南のほうに天子の気がある」としていつもその方角に遊幸していたのを李が恐れて隠れたが、いつも呂后が彼を見つけた。不思議に思って問うと、「あなたのおられるところは、上のほうにいつも雲気があるからすぐわかる」と言われた、というところである。リンク先に書いておいたように、漢の高祖となる李は人間の女性と蛟竜の間に生まれ、「竜顔」といわれた竜の血筋を持つ人間である。まさか日本書紀の作者が八岐大蛇と漢の高祖を同一視したとも思われないが、同じ竜族の存在として、「雲が立つ」という表現は「天叢雲」という表現とじつにしっくりくるものであり、そういう経緯もあって注に取り入れられたのかもしれない。

 また、多頭大蛇の上に「雲が立つ」という表現は、どういう関係があるかはわからないがシュメールにも知られている。戦闘神ニンギルスの持つ武器のうちのひとつは「ムシュマフのようであり、杉の山からわき出でる雲の水のようだ」という表現が知られているのである。このムシュマフというのは七頭の蛇の怪物。八岐大蛇と同じく武器と関連付けられている。ムシュマフ自身も「退治される怪物」でしかなく、それが水や雲とどのように関係があったのかはわかっていない。

 どちらにしても、記紀神話には八岐大蛇の特徴や属性についての記述がほとんど見られない。そんな中で「雲気立つ」という表現が中国の「竜」(主に言い回しが類似)やシュメールの「多頭蛇」(主に状況が類似)に共通して存在するということは、記紀本文ではほとんど語られることなく消えていった八岐大蛇の性質を推察する手がかりになると思われる。たとえば、現実には存在しない「多頭蛇」を表現するために、樹木(日本だと松や柏、シュメールだと杉)が生い茂り、雲がその上に立ち上る山を代用としていたとすれば……では、なぜ(よく言われるような)川ではなく山なのか……など。

『日本書紀』神代上 第八段 一書

 一書第一  素戔嗚尊が天から出雲の簸の川上にくる。稲田媛を見初めて子供を産ませる。

 ……八岐大蛇退治の記述、なし。

 一書第二  素戔嗚尊が安芸国の可愛の川上におりてくる。そこに神の脚摩手摩(あしなづてなづ)とその妻の稲田宮主・簀狭之八箇耳(いなだぬのみやぬし・すさのやつみみ)がいて、八箇耳はすでにはらんでいた。しかし夫婦は「多く子供を産んだのだが、生むたびに八岐大蛇が来て食べてしまう。また食べられてしまう」と素戔嗚に訴えた。そこで素戔嗚は果実酒を多く作れ、私が蛇を殺そうと言った。準備が整ったとき、大蛇がきた。戸に当たって子供を呑もうとする。そこで素戔嗚は「あなたは畏れ多い神であるので、饗宴を用意しました」と言い、大蛇の口ごとに酒を飲ませた。蛇、酔って寝た。素戔嗚、その間に剣で持って蛇を斬った。尾のところで刃こぼれがしたので割いてみると、剣が尾の中にあった。これを草薙剣(くさなぎのつるぎ)という。現在は熱田にある。斬った剣は麁正(あらまさ)といい石上にある。のちに素戔嗚は生まれた娘の真髪触奇稲田媛をめとった。

 まず、夫婦の名前が違う。古事記と本文では別の神だったアシナヅチとテナヅチがここでは一緒になってしまっているのである。次に、子供が生まれるとすぐに食べられるというのも異なる。生贄として一年に一人捧げるわけではなく、あたかも我が子を食らうサトゥルヌスのように、生まれたばかりの赤ん坊を食べているのである。また、怪物が多頭蛇であることにも一切言及されていない。「八」という数字は、純粋に「多い」という意味でしか用いられていない。さらに、素戔嗚が蛇に対して下手に出ているというのも、意外である(ただし『先代旧事本紀』はこれに従う)。少なくとも話しが通じる相手であることは、定期的な生贄を要求する古事記や本文からもわかるが、頭は弱いらしい。稲田媛は結果的に生まれてきたのであって、もし男の子が生まれていたらどうしたのだろう。

 一書第三  素戔嗚尊が奇稲田媛をめとろうとすると、脚摩乳と手摩乳が「まず蛇を殺してくれ。その大蛇には頭ごとに岩松があり、二つのわき腹に山があり、とても畏れ多い。どうして殺せばいいのか」と言う。そこで素戔嗚は計略を用いて毒酒を飲ませ、蛇を眠らせた。そして韓鋤(からさひ)の剣をもって頭と腹を斬ったが、尾を斬ったときに刃こぼれがした。裂いてみると、一つの剣があった。名づけて草薙剣という。

 剣の行方もあるが省略。「泣いている家に行ってみた」「頭の数」がないだけでずいぶんと話が違ってくる。

 一書第四  素戔嗚尊、出雲国の簸の川上にある鳥上の峯に来た。そこに人を呑む大蛇がいたので天蝿斫剣で斬り殺した。尾を斬ったときに刃こぼれしたので見てみると、剣があった。それを五代の孫である天之葺根神(あまのふきねのかみ)を通して天に捧げた。これが草薙剣である。

 第二の一書とあわせるといいのかもしれない。犠牲になった一家の話がぜんぜん語られていない。

 一書第五以降は国造り、大国主の神話。

『先代旧事本紀』巻第四「地祇本紀」

 素戔嗚尊が出雲国の簸之河上の石鳥髪というところに来たとき、河上から箸が流れてきた。人があると思って河上に行ってみると、泣き声が聞えてきた。その泣き声をたどってみると老人と老女がおり、間に少女がいて泣いていた。なぜ泣くのか、おまえたちは誰だと問うと、私は国つ神で脚摩乳、妻は手摩乳、少女はわが子で奇稲田姫という。むかし8人の娘がいたが、高志の八岐大蛇に毎年食べられている。最後の一人も食べられようとしているので泣いているのだ。素戔嗚がどんな姿をしているかを聞くと、それは頭と尾が八つある大蛇で、眼は赤カガチのようで、身体には松や柏などの木が生えている。その大きさは八つの渓谷をまたぐほどである。腹からは常に血がしたたっている。
 素戔嗚が「脚摩乳に娘をくれないか」というと、脚摩乳は「畏れながら名前をまだ聞いていない」と言い、「私は天照太神の弟である」「それなら、まず蛇を殺してから娘をめとってくれ」という流れになった。素戔嗚は奇稲田姫を櫛に変えて髪に挿し、脚摩乳と手摩乳によく醸造した酒を多く用意させ、垣をめぐらして八つの門を作り、それぞれ台を置き、さらにそれぞれに酒甕を備えさせた。
 八岐大蛇がきた。素戔嗚は蛇に対し、あなたは畏れ多い神であるので、饗宴を用意したと言い、蛇は頭一つ一つを酒甕に突っ込んだ。蛇は酔って、寝た。そこで素戔嗚は剣でもって蛇を八段に斬り、それぞれが雷となり、天にのぼり、簸河の流れは血に染まった。尾を斬っていると刃こぼれがする。なぜかと思い裂いてみると、一つの剣が入っていた。それは天叢雲剣であった。なぜなら大蛇のうえにはいつも雲気があったからである。素戔嗚はこれを五代の孫である天之葺根神を通して天に奉った。今は熱田神社にある。

 箸が流れ着いたというのは古事記と共通する。そのほかは日本書紀の本文や一書に同じ伝承や同じような表現が見られる。ただ、雷になったというのは『先代旧事本紀』オリジナルのようだ。

中世神話のなかの八岐大蛇*2

 日本神話はなにも古事記と日本書紀にしか語られていないわけではない。日本中世にも、おもに『日本書紀』をベースにした「中世神話」という世界が繰り広げられていた。
 国文学用語でいう「中世神話」とは、鎌倉室町時代にかけてのさまざまな文学作品や注釈書、宗教論書などのなかに現れる神話のことである。中でも中心となるのが「中世日本紀」と呼ばれる「中世の日本書紀」で(しかし原文とはかなりかけ離れている)、これはたとえば以下にも引用する『太平記』などにあることがよく知られている。
 中世神話の特徴を一言で言い表すと、それは「テキストの注釈」ということにでもなるだろう。先史時代の「語られる神話」が記紀や古語拾遺、先代旧事本紀などによって「読まれる神話」になったのが奈良・平安時代である。そして仏教思想の浸透や社会的な変動によって日本が中世という時代に移行する鎌倉・室町時代に、この「読まれる神話」という、「完成されたテキスト」に対する解釈が始まった。そのなかには比較的オーソドックスなものもあったが、多くは「こんなのどこにも書かれてない」「勝手に付け加えられてる」「なんで仏教の菩薩が」などと、かなり変容して記述されているものだった。そこが中世という時代の面白さである。日本に限らない。ギリシア・ローマの古典はキリスト教中世の文献で多くの解釈を施され、新しい神話が生まれのだ。『聖書』もそうである。

 記紀だけを原典にすえる神話とは、日本神話でもなんでもなく、正に単なる「記紀神話」に過ぎないのである。

 普通中世神話というと神仏習合が話題にあがり、このウェブサイトで紹介している日本神話のなかでも豊玉姫が娑伽羅竜王の娘だ、といった解釈がされることもあったが、八岐大蛇神話のように仏教世界観とは関係なく、どこかの説話集か何かに影響を受けて変化していったのもある。

酒に映った影

 高野本『平家物語』巻第十一「剣」
 神代より伝わる宝剣三つを語るくだり。中世神話では、三種の神器との関連で語られることが多い。

 その昔素戔嗚尊が出雲の国簸河上に下っていったところ、国津神の足なづち・手なづちという夫婦がいた。彼らには稲田姫という娘がいたが、そろって泣いていた。そこで素戔嗚が理由を問うと、私たちにはもともと八人の娘がいた。みな、大蛇に呑まれてしまった。この最後の一人も、もう呑まれようとしている。その大蛇は尾も頭もそれぞれ八つあり、八つの峰・谷に這いはびこっている。霊樹意木がその背中に生えており、何千年ものかわからない。その眼は日月のように光り、毎年人々を食べている。親が飲まれて子が悲しみ、子が飲まれて親が悲しむ。あちこちから泣き声が聞えてくる。素戔嗚はそれを聞いて哀れに思い、稲田姫を櫛に変えて自分の髪に挿し、八つの船に酒を入れ、美女の人形を作って高い丘に立てた。すると、その人形が酒舟に映って見えるようになった。大蛇はその影を人間そのものだと思って酒に顔を突っ伏して酔うまで飲むと、素戔嗚は剣を抜いて蛇の身体をズタズタに切り裂いた。しかし尾のなかの一つだけはどうしても斬れなかった。不思議に思って縦に割ってみると、なかから一振りの霊剣が出てきた。それを天照大神に奉ると、どうもその剣は以前天照が天上から落としたものらしかった。この剣は、だいじゃのなかにあるときはいつも群雲が上を覆っていたので、「あまの村雲の剣」と呼ぶのである。

 太字にしたところが、明らかに古代神話とは異なる、中世神話独特の八岐大蛇神話である。なんでこうなっているのかわからないが、中世の文献はほとんどこれに従っている。また、『平家物語』『愚管抄』には、この剣が安徳天皇に化けた竜王によって海中に盗まれたという記事もある(ちなみに『太平記』では八岐大蛇本人(本蛇?)である)。どこまでも竜蛇と関連のある剣だということか。さて、『太平記』には、その竜王が天照大神に怒られて帰ってきたという逸話がある。そしてその次に、いわゆる「中世日本紀」が繰り広げられるのだ。


 『太平記』巻第二十五「宝剣進奏両卿意見の事」~「三種の神器来由の事」
 伊勢神宮に千日参詣の発願をした円成は、満願の夜、海に出ると、光物を見つけた。釣り人に聞いてみたが知らないという。そこで船を漕ぎ出して手に取ろうとしたが、消えてしまう。じっと見ていると、小さくなって足元に流れてきた。恐る恐るとって見てみると、それは金でもないし石でもなく、三鈷柄の剣で二尺四五寸ばかりのものだった。これはなんだろうと思いながら大神宮へと向かう途中、遊んでいた子供たちのなかの一人が突然「物に狂ひて」、自分は天照大神が乗り移ったと宣言した。承久の乱から三種の神器もないのに天皇が即位し続けている。そのため国は乱れ、世は静かではない。そこで私が竜宮に勅を下し、宝剣を持ってこさせたのだ。それが宝剣である。急いで公卿を通じて天皇に献上せよ。神様がいうには間違いがあるはずもなく、円成はすぐに上京して、あれこれありながら日野・大納言・資明に宝剣を奉った。資明は万全を期す、としてすぐには奏上せず、神祇大副の卜部兼員に『日本紀』のことを尋ねた。
 ここから「中世日本紀」が始まるが中略
 悪神を引きつれ反乱を起こしながらあっというまに敗れた素戔嗚尊は簸河上に八色の雲がたなびいているのを見て不審に思い、そこにいってみると、老夫婦と美しく気品のある娘が泣いていた。聞いてみると、「私たちは脚摩乳・手摩乳という。娘は稲田姫。私たちには八人の娘がいたが、最近このころ八岐虵という、頭と尾がそれぞれ八つあって、山谷七つに渡って這い回る大蛇がいて、それに生贄を捧げる。もう七人は飲まれてしまった。稲田姫が最後の一人。今日限りなので泣いている」。素戔嗚は哀れに思い、姫を私にくれるなら策略を考えようと言った。老人は大いに喜んだ。素戔嗚は櫛を髪に挿し、姫を酒を大量に入れた船のうえの棚に置き、その影を酒に映して待っていた。
 夜半すぎ、大山のようなものが動いてこちらにやってきた。稲妻が光った瞬間に見えたその姿は、八つの頭にそれぞれ二つの角があり、松や柏が背中に生え、眼は天の鏡である日月のようであり、喉の下にある鱗逆鱗?は夕日を映した海の波が風を受けて寄せてくるようだった(?)。蛇は酒に映る稲田姫の姿を見て「ここにいる」と思い、すべての酒を飲み干した。そこでさらに追加して飲ませると、蛇はようやく酔いつぶれた。素戔嗚が剣で大蛇をずたずたに切り裂くと、尾が一つだけ切れない。縦に裂いてみると、宝剣が出てきた。これがいわゆる天叢雲の剣である。天照大神に献上すると、これは自分が落とした剣だ、と喜んだ。
 資明は話を聞き終わると、宝剣が神話にあるものどおりか確かめてみた。確かにそのものだった。そこで、とりあえず何か「不思議」=奇跡を起こしてみよと兼員に言った。兼員はちょっと無理かもしれないといいつつ、とりあえず21日祈ってみることにした。兼員は平野社に剣を奉納し、12人の社僧に『大般若経』を読ませ、36人の巫女たちに神楽を捧げさせた。すると満願の日の夜、足利直義の夢に宝剣を奉る儀式がでてきた。遠くを見てみると、梵天、四天王、竜王以下八部衆が宝剣を囲んでいた。このような夢を見たことを方々に話すとあっという間に京中のうわさになり、資明は奇跡が起きたと判断し、上皇にそのことを奏上した。しかしながら当時対立していた勧修寺・大納言・経顕が、どうもこのことは資明一味のほうからしかでてこないと怪しみ、上皇にそのことを奏上した。八岐大蛇も安徳天皇に変じてようやく宝剣を奪ったというのだ。また、夢というのははかないものである。そこで上皇も院宣を撤回し、宝剣を兼員に預けたのだった。

 大筋は『平家物語』と変わらないが、姫を櫛に変えたのではなく、単に櫛を髪に挿しただけ、というのが異なる。この解釈には他書にも見られ、「人間を櫛に変えられるはずがない」と思った中世の人々がそのように物語を変更してしまったのである。また、執念深い八岐大蛇が安徳天皇に変じて宝剣を奪ったというのも面白い話である。ちなみに天照大神が宝剣を落とした場所は『神代巻取意文』や延慶本『平家物語』第六、『源平盛衰記』第四十四によれば伊吹山であるという*3。この伊吹山という場所は次節「八岐大蛇の子孫」でも重要な役割を果たす。
 それと「2本の角がある」というのは、もろに「竜」である。


 あまり長々と紹介しても大筋は同じものばかりで退屈だろうから以下は要約です。

 『古今和歌集序聞書 三流抄』上巻(1286頃)
 「日本紀」によれば、素盞嗚は悪神たちとともに反乱を起こしたものの、あっというまにタヂカラオなどに蹴破られ、流浪していた。ふと見ると八色の雲が立っている。そこにいくと老夫婦と若い娘が泣いていた。どうしたのか問うと、自分はアシナヅチノ尊で神力が衰え下位になった。娘は稲田姫。海中から八頭の蛇がくる。多くの人を食べ、今度は姫の番だ。だから泣いている。と言われた。その竜を倒すから娘をもらうということで、まずは八つの酒船に酒を入れ、海に浮かんで櫛を八つつくり、姫の頭に挿した。これは海松の根を削ったものである。竜が現れ、八つの船に頭を入れて酒を飲んだ。酔って、寝た。そのとき八つの櫛が八つの竜の頭となって竜を食べていった。そして素盞嗚が剣を抜いて蛇を斬って行くと、尾から八色の雲が立っている。見てみると剣があった。のちに日神と仲直りしたときに剣を奉ったが、これが天ノ村雲ノ剣である。

 神力が衰えて下位になったとか、省略したが自分は天神の末裔だから知らん人間に娘はやらん、というところとか、微妙にアシナヅチの悲しい状況が描かれているのが独特。だが、なによりも蛇が竜と呼ばれ、海から現れてくるというのが他の神話とは異なっている。川ではなく海なのだ。また、松の根から作った櫛が竜の頭になって酔っている竜を襲って食うというのも衝撃的な描写である。ただし、まだ「酒に映った影」はない。これから『元亨釈書』にかけての40年あたりにかけて八岐大蛇神話の解釈競争が行なわれ、「酒に映った影」が最終的に勝利したのかもしれない。


 『元亨釈書』(1322)
 どうも、この仏教史書にあるのが一番古いらしい。近い年代だと、10年後の慈遍『旧事本紀玄義』(1332)、『豊葦原神風和記』巻上(1340)にもある。


 山王神道書『神道雑々集』下、丗八「慈恵大師物忌ノ事」(1349頃)*
 イツモの国檜ノ川上にきたソサノヲは、足ナツチ手ナツチ夫婦と娘のイナタヒメが泣いているのを見つけた。聞くところによると、七人の娘が大蛇によって食べられていて、もう最後の一人だ。大蛇は尾も頭も八つあり、霊樹霊木が背中に生えている。何千年生きているのか。そこでソサノヲは少女を櫛に変えて髪に挿し、八つの船に酒を入れて、女の人形を山に立てた。蛇は酒船の影を本物だと思って飲み干し、寝た。そこでソサノヲが剣で蛇を斬り、そこで一振りの剣を見つけた。天照大神に奉った。その大蛇は近江の国の伊吹明神である。五色の雲がいつも剣の上に出ているので、アマノ村雲ノ剣という。

 大蛇は伊吹明神であるという。これは『書記』で日本武尊を襲った伊吹山の神が蛇だというのと関連しているのだろうが、どの時点で両蛇が結び付けられたのかまではtoroiaは知らない。なお、これは南都本『平家物語』巻十二「霊剣事」と酷似しているらしい。


 春瑜本『日本書紀私見聞』
 素戔嗚尊が追放されて出雲の国に降りたとき、人の泣き声が聞えてきた。老夫婦が泣いていたので尋ねてみると、この山には大蛇がいて、毎年わが子を食う、今日最後の一人の娘が取られるから泣くのだ、と言われた。素戔嗚は八つの船に酒を湛えさせ、娘を櫛に変えて隠した。大蛇が来た。八岐大蛇である。頭も尾も八つあり、草木が体中に生えていた。大蛇は船の中の酒を飲みつくし、酔って寝た。そこで素戔嗚が剣で切り裂くと、中から剣が出てきた。これは天村雲釼である。蛇の尾の上に群雲が立ち昇っていたからである。ちなみに夫婦の名は脚摩乳・手摩乳であり、もともと九人の娘がいた。蛇の名前は「山ト(氵に国から点と下枠をとった字)蛇(ヤマトヲロチ)」。娘は稲田娘。

 「日本書紀」とあるだけに殺し方もオーソドックスである。が、なぜか娘の数が9人。


 『三種神器大事』(1445)*
 素盞嗚尊が出雲の国の簸河上に大蛇がいた。尾は八つの谷を這い、眼は日月の如く光り、毎年人を多く食って、国から人がいなくなり、山神の手摩乳と足摩乳だけ残った。夫婦には8歳の稲田姫がいたが、今夜食べられてしまう。素盞嗚はそれを聞いて、その娘をくれれば大蛇を退治しようと言った。夫婦は喜んで娘を差し出した。素盞嗚は高い床を作り、上に稲田姫を乗せて着飾り、彼女の髪に櫛を挿し、四方に火を燃やし、そして八つの酒の甕を置いた。夜半になって大蛇が来たが、炎で近づけない。そこで甕を覗くとそこにも稲田姫がいる。酒を飲んで寝てしまった。素盞嗚はさっそく剣で細切れにした。尾に剣があったが、その上にはいつも黒雲がかかっていた。

 まわりを燃やして姫本体に近づけなかったという。素戔嗚、水面に映るだけでは不安と考えたのか。とにかく進化している。芸能における舞台効果を考えての事なのかもしれない。


 『秘神抄』(1497?)*
 出雲の国に下った素盞嗚がさまよっていると、泣き声が聞えてきた。そこに行ってみると老夫婦がおり、14,5歳ほどの女性がいた。手チ槌足ヂ槌という老夫婦で、簸ノ川上というところに池があり、そこに大蛇がいるとの事だった。その大蛇は毎年人々を食べ、この娘も今年捧げなければなければならないので嘆いているのだ。ああなるほど、ということで素盞嗚は娘を助けるからもらいたいと言い、老夫婦は快諾。素盞嗚は毒酒を用意し、八艘の船いっぱいに酒を入れ、モグサで姫の人形を作り、高台に姫を上らせ、四方に火を燃やした。夜毒蛇が来たが、酒面に映る影を本物だと勘違いして酒を飲み干した。でも姫ではあに。そこで高台を見ると姫(の人形)がいるのでそれを飲んだ。しかし人形は燃えやすい素材でできていたので、火をつけられ、腹の中が焼け、毒酒のなかの油と相俟って蛇(天蝿)を苦しめた。失神した蛇を素盞嗚はずたずたに切り裂いた。切れないところがあったので見てみると剣が見つかった。そのうえには群雲がいつもあった。

 大蛇がいるのは池だとのことである。酒船は依然として八艘だが、首の数の記述が消えている。また、体内から火を燃やされて攻撃されたというのも珍しい。最後に、この蛇の名を「天蝿」というところがこれまでのとは異なる。そういう名前があったというよりは、「天蝿斬剣」から逆に生み出された名前なのだろう。


 『雲州樋河上天淵記』(1523)
 執筆当時から234万4650年のむかし。八岐蛇がいた。八色の雲気を常に立てていた。素戔嗚尊が雲州にやってきたが、人が少ない。長者原というところにいくと老人と老女がいて、美しい少女が間に座って泣いていた。素戔嗚が事情を聞くと、老夫婦は手摩乳と脚摩乳、娘は稲田姫、長者といわれていたとのこと。ここから河上に二里ほどいくと深谷があり天淵といい、そこに大蛇がいる。その大蛇が国中の人々をほとんど食べてしまった。八人の子がいたが、最後の一人がいるだけだ。そこで素戔嗚が姫をくれるなら助けるというと夫婦は喜んで了承した。素戔嗚はまず七里いったところに八重の垣をつくりそこに姫を隠して長者原に帰った。蛇の姿は頭尾それぞれ八つあり、天に枯れ木が立つ如く、眼は日月のように輝き、牙は剣戟が交わるようで、火焔のような毒気があり、舌は赤く、身体は山谷を覆い、穴から出るときは霧と煙を巻き起こし、火の如く鳴り響くという。素戔嗚は八つの酒船を用意し、山の上に女人形を置き、姿が酒船に映るようにした。大蛇はそれを本物だと思って頭を突っ込んだ。しかし女はおらず、上を見てみると山に女がいる。そこでそれを呑んでみたが、中には火種が入っており、蛇は悶絶、そこに素戔嗚が現れて蛇を細切れにして退治した。尾の中には天叢雲剣があったので天照太神に献上した。どうもこれは天照が天岩戸の時に伊布貴山に落としたものらしかった。  さて大蛇の死体はどうなったのか。ずたずたになった身体が流れきたところは八本杉という。腹の皮が流れ止まったところは皮原という。尾が流れ落ちたところは三刀屋尾崎という。蛇枕がきたところは草枕という。八つの酒船をおいたところは天淵の坤隅である。大蛇が悶え苦しんで黒くなったところは岩としてのこる。蛇が棲んでいた穴はむかし長者が金属を流し込んでふさいで、今は植物に覆われている。
 そのほかにも幾つか蛇についての伝説が『天淵記』に載っている。
 むかしは霊蛇の苗種から大蛇が生まれたが、素戔嗚はそれを天火で燃やしつくした。第八十代安徳天皇の尼が脇にそれを挿して入水したが、これは大蛇の霊魂の仕業である。大蛇のいたところには長い葛根があるが、これは大蛇の子である。永正年間に太守がこのあたりの草をどけてふさがれた穴を見てみると、にわかに雲が現れて雷雨が降り、人々は皆気に飲み込まれてしまった。これは大蛇の気雲だという。八岐大蛇の由来は、日本の正法が邪神に傾いたからである。武尊が伊布貴山にいったところ、八岐蛇の霊が現れて黒雲を出し、宝剣を奪おうとした。しかし武尊はそれ(蛇)を蹴り殺した。しかし蛇の毒気に悩まされ、そのまま死んで白い鳥となり、飛んでいった。仲哀天皇のとき、大蛇の霊は蒙古の塵輪となって筑紫を襲い、流れ矢によって天皇を殺した。
 その他熱田明神が日本侵略を狙っていた唐の玄宗のもとに美女楊貴妃となって現れ、玄宗を骨抜きにしたという説話なども載っている。

 過去がちょっと古すぎるがそれは置いておくとして、描写が一段と詳細になっている。蛇というよりは竜のようである。また蛇殺しも二段階あり、酒に酔わせて、さらに内部から燃やすという周到さ。剣が落ちたのは天岩戸のときであるともされる。蛇の死体が地名語源になっているのも興味深い。殺されたうえに宝剣も奪われた大蛇の霊は何度も天皇やそれに近い人々を殺している。その執念恐るべし。


 『神祇陰陽秘書抄』(1526)*
 素盞嗚尊が出雲の国の山田というところに光物が集まって山から音がしているのを見つけた。なんでだろうと思って行ってみると老人が一人家にいた。嘆いていたのでわけを問うと、南の山に大蛇がいて、いつも里に降りては人を食っていた。四方から悲しみ声が聞えてくる。私にも一人の娘がいるが、もう飲まれてしまうのだ。老人は800歳とのこと。娘をくれるなら退治しようということで、素盞嗚は、大蛇は必ず酒が好きなはずだから、船に酒を湛え、稲田姫を美しく着飾り千色岸に置いた。夜半に大蛇が来て、岸に映る娘の影が船にうつるのを見てそこに女がいると思い、酒を大量に飲んで、酔って寝た。そこで素盞嗚が剣で大蛇を切り裂いたが、尾の一つは斬れなかった。見てみると剣がある。その剣の上にはいつも雲がたなびいている。大蛇のなかにあるときはいつもこのようだった。

 八岐大蛇(本文中は「大蛇」だけ)の出現に「光物」や「鳴」のような予兆が加わっている。また、櫛のことが完全に無視されている。


 『日本記一 神代巻取意文』(中世後期)
 索盞烏ノ命は雲州にきて曽我の里でしばらく暮らしていた。ある日二人の手下を連れて久木次福武(くきすのふくたけ)というところに狩猟に行き、夜暗くなったので近くに宿を借りた。そこの主は八十過ぎの老人で、その妻も同じくらいの年齢であり、そばに14,5くらいの美しい女がいた。悲しむ夫婦に理由を問うと、日ノ河上の八坂というところに頭と尾が八つずつある毒虵がいて、この国の外道となり、人を限りなく殺している。私たちにも12人の娘がいたが、毎年食べられのこりは一人。もう食べられてしまうので嘆いているのだ。索盞烏は娘をくれれば敵を倒そうと言い、老夫婦も喜んで娘を奉った。この夫婦は足那鎚と手那鎚、娘は稲多姫という。毒蛇は「魔縁ノ者」なので見ないように垣を八重にして、そのなかに姫をおいた。また高い台に八つの美女の人形を置き、中には八つの鏡を並べ、池には七色の酒入り船を八つ並べると、美しい姿が池の底に映った。毒虵これをみて喜び、「日ごろは八つの口で四つの物を食べるから残りの四つは飢えたままだ。今日は八つの口全てで食べられる」といって酒を飲み、酔って寝た。そこで索盞烏が剣で蛇を細切れにした。最後の尾を切り開いてみると剣があった。大蛇の尾にあるとき、いつもその上に雲があった。太神(アマテラス)にこれを奉ると、これは昔自分が持っていたのを美濃国伊吹嶽に落としたものだと言われた。この大虵は伊吹大明神である。

 時代が下るにつれてますます巧妙になってくる。今度は鏡まで用意して人形発見率を高めようとしたのだ。また、八岐大蛇(本文中に名前はない)の心情が語られているのも面白い。大蛇を「魔縁」としたり「外道」としたり「魔王」としたりするのは、第六天魔王神話の影響だろうか? また、伊吹明神への言及も見られる。

八岐大蛇の子孫

 酒呑童子の祖父は伊吹童子であるが、この伊吹童子は伊吹明神と山麓に棲んでいた玉姫の間の子供だが、この伊吹明神は実は素戔嗚尊に退治されて伊吹山にまで逃げてきた八岐大蛇だった。つまり八岐大蛇が酒呑童子の曽祖父だったのである。伊吹童子は人を食らうようになった猟師で、近江の木野木殿の姫のところに通った結果生まれたのが酒呑童子だという*4。竜と鬼は相互変換しうる存在だったが、これは日本に限らない。民間説話の世界ではもともと「竜」だった主人公の敵がもっとあいまいな「怪物」となり、そして「鬼」になってしまうことは頻繁に起こる。たとえば、印欧語族の竜退治神話においてもゲリュオンは本来蛇であったのが蛇髪のメドゥーサの子孫とされるようになったのではないかという説がある。蛇から生まれる鬼、という構図はここでも変わらない。

 岩波新体系『室町物語集 上』に収録されている『伊吹童子』(室町末~江戸初期)は少し話が違って、もともと伊吹の弥三郎という人がいた。弥三郎は酒を飲んでは狂乱し、しまいには酒を奪うようになった。また山に住み、鳥獣がいなくなるまで肉を食らい、それがなくなると里に下りてきて牛馬を奪っていた。ところで、昔出雲の国簸川上に八岐大蛇という大蛇がいた。この大蛇は毎日生贄として人間を食べ、さらに酒を大量に飲んでいた。ある日八つの入れ物に入った酒を飲んだところ、酔って油断し素戔嗚尊に殺されてしまった。その大蛇が変じて神となったが、今の伊吹大明神がそれである。弥三郎は伊吹大明神の山をつかさどる人なので、酒を好んで動物を好むのか、と人々は恐れて旅人も近づかなかった。村々は交配した。さて弥三郎は普通だったころ、妻をめとった。その妻の父親である大野木殿が弥三郎を招き、酒を酔わせるまで飲ませた。そして倒れたところを刀で一突き、放置して殺した。倒れている弥三郎を見つけた妻は嘆いたがどうしようもない。しかしすでに子供がおなかの中に宿っていた。それが酒呑童子である。

 また、別のお伽草子『酒典童子(伊吹山)』には次のようにある。
 嵯峨天皇のとき、比叡山延暦寺に美しいしゅてんどうじという稚児がいたが、世にも不思議な変化を遂げた。それもそのはず、父はわたつみの第二王子いぶき大明神だったのだ。
 もとは出雲の国のひの川上に住んでいたがその姿は恐ろしく、背中には草木が茂り、8の頭、日月のように輝く16の瞳、8の尾、8の谷にまたがる大きさで、八またのおろちといった。人を無差別に食ったので村々は悲しみに包まれていた。そさのをのみことが出雲の国に行ってみると泣き声がする。(ここら辺は普通と同じなので中略)いなだひめに櫛を挿し、そさのをに奉ると、そさのをは八つの酒船に数千石の酒をいれ、いなだひめを山の峰に置き、その姿が酒船に映るようにした。雷鳴がとどろき稲妻がひかり、山から大蛇が現れた。酒船に映った姿を勘違いして酒のなかに顔を突っ込み八千石の酒をあっという間に飲み込むと、酔って寝た。そこでそさのをのみことはおろちをずたずたに切断し、尾のところで霊剣を発見し、天照大神に捧げた。むら雲のけんと言う。
 さてやまたのおろちはバラバラにされたわけだが御霊は残り伊吹へと帰って大明神と崇められ、貴賎上下とも頭を垂れて奉った。
 ところで江州の井口に須川殿という長者がいた。この親ばかは、40になって初めてできた娘の玉姫御ぜんがあまりにも可愛すぎて16になってもどんな男にも姿を見させなかった。しかしある夜、どこからか身分の高い男がこの姫のところに通うようになった。実は姫は厳重な警備のもとに暮らしていたのだが、誰もこの事に気づかなかったのである。しかし3年も経ったある日、付きの女房が二人の会話を耳にして驚き、母に報告した。母が行ってみると確かに枕を並べている。母の北のかたが大声で叫ぶと男は不思議とかき消すように姿が消えた。翌日母は娘を呼びつけて、「おまえは大事な娘なのに、将来は関白摂政にでも嫁がせようと思っていたのに、なんでこんなことに」と激怒した。しかし、娘は頬を染めるだけで答えない。心を決めた北のかたは須川殿にすべてを打ち明けた。事情を話された父は心を静めて考えた。七重八重の壁に武士を配置し、厳重に警護しているのに、どうやってその男は入ってこれるのか。もしかすると化け物だろうか。
 彼は娘の寝殿まわりを兵で固め、その夜、一人が男に矢を放った。その矢は確かに当たったのだ。しかしその兵は弓矢を握り締め、血を吐いて死んでしまった。それどころか須川殿までも重病になり、魂魄失せたようになってしまった。困り果てた母の北のかたが巫女を呼でみると、これは伊ぶきの大明神のたたりなので、すぐに明神を奉れとの託宣が出た。そこで彼女たちが大明神の御前に参ると、かんなぎに乗り移った明神が、私は偶然三熱の苦しみを癒そうと思ったのに、庶民は浅ましくてかなわない。長者一人だけでなく周辺住民も安穏には暮らせないと思え……とはいえ子を思う親の気持ちはよくわかるので、『玉ひめ御ぜんが行衛こそ御心にかかれ』」と言い、さめざめと泣いた。北のかたは明神に自分たちの非礼を謝り、須川殿が治るのなら玉姫を奉りますと答えた。明神が乗り移っているかんなぎは、姫は子供を生むがそれは男児である、おまえの子供としなさいと宣い、離れていった。そこで屋敷へ戻ってみるとなんと姫は出産の最中だった。北のかたは玉のように輝く赤ん坊を取り上げ、抱いた。そして死んでいた須川殿にその若君を見せると突然蘇り、赤ん坊を三度拝した。というわけで二人は吉日を選んで娘を泣く泣く送り出し、伊ぶき山の御殿に住まわせた。後に姫君も神とされるようになった。
 ところでその若君は幼いころから限りなく酒を飲んでいたので、須川殿はこの子をこう名づけた――酒典童子と。

熱田、石上

 草薙の剣は熱田神宮に祭られているので、その由緒として草薙剣神話が語られていることが多い。ただ、日本武尊から始まることもある。また本地垂迹説に従って八岐大蛇が何故か熊野権現と同一視されている。
 『尾張国熱田太神宮縁起』(鎌倉初期?)にある神話は日本書紀と大差ない。漢字表記に多少の異同がある。『宝剣御事』(1397?)の冒頭にあるのは中世神話版で『平家物語』巻十一「剣」、屋代本『平家剣巻』とほぼ同じ。影を見て酒を飲んでしまい、酔って寝て殺されてしまう。
 『熱田宮秘釈見聞』(鎌倉期)には、そもそも八頭八尾の大虵というは熊野権現の化身なり、とある。そこから八頭は八識、十六の目は十六大𦬇の智恵の眼なり、八尾は八大童子なり、という風に本地垂迹説が展開されている。ちなみに熱田大明神の本地は五智大日如来、素盞嗚尊は東の阿閦仏であるらしい(真言密教の理論に基づく)。八岐大蛇が熊野権現であるというのは『熱田太神宮秘密百碌』(室町前期)も同じだが、謎の神話がついている。それによると衆生を化度するために大日如来が尾張に垂迹したが、今の天之村雲の剣が大日である。その剣は国常立尊が阿波の国の禁山というところまで火を出してその身を剣に焼成し、虵となって紫雲に乗って飛び去り、筑紫の伊吹嶽にいき、そこから出雲国の肥河上にいき、悪事をなしたところ、素盞嗚尊が退治した、とある。意味不明。『熱田の神秘』(室町)は月よみのみことを女性としている文献で、そさのをが威張ると唐突に天せう大しん(天照大神)が蛇に姿を変じて天岩戸に閉じこもるところがある。八岐大蛇神話は中世のほかの文献と変わらず、影を本物と勘違いして酒を飲み、殺される。また、最後のほうには『熱田宮秘釈見聞』とほぼ同じ書き方で八岐大蛇が熊野権現であると説明されている。


 スサノヲが八岐大蛇を細切れにした剣があるという石神神宮(いそのかみ)の縁起にも、この神話がその片鱗を覗かせている。他の八岐大蛇神話との関連で重要なのはこの石上神宮が物部氏と深い関連があり、そしておそらく『先代旧事本紀』が物部氏の手になるということである。
 『和州布留大明神御縁記』(1446)には少女を山頂において酒甕にその姿を映して騙すという典型的な中世型神話が見られるだけである。しかし他の縁起には鏡型説話は見られず、逆に古代には『先代旧事本紀』によってのみ知られていた「八岐大蛇が八段に斬られてそれぞれ雷(雷神)となって昇天した」という神話が見られるのである。たとえば富田延英『布留神宮記』(1677)、『古語拾遺』なども参考にしている『石上振神宮二座』(1693?)、今出川一友『物部氏口伝抄』(1704)、南仙『布留神社略縁起』(享保年間)などである。いずれも江戸時代以降のものだが、石上神宮の縁起で中世にさかのぼるものは『和州』しかないという事情がある。
 また、今出川一友『石上布留神宮略抄』巻下(1720)には、以下のような珍しい神話も伝わっている。それによると、八劔神殿(はちけん)に祀られている夜都留伎(やつるぎ)の神は八岐大蛇の変じたものであるという。御神体は比礼小刀子(ひれこかたな)。神代の昔、素戔嗚尊が簸谷に降りたとき、そこに怪物がいるとのことだった。しかし素戔嗚はこれを退治して八段に切断した。しかしその後八つの体に八つの頭と尾が取り付いて八つの小さな蛇となり天に昇り、水雷神(みいかつちのかみ)となり、天藂雲の神剣にいつも従い、大和の布留河上の日谷(ひのたに。先の地名が簸河上ではなく簸谷となっているのはこのせいか)に降り立ち、鎮座した。八竜王八箇石とはこれである。貞観年間に神殿が建てられ八剣神というようになったが、今の田井庄村の八頭神殿がそれである。cf. 水神、雷
 八剣神社の何が「八」なのかについての縁起は錯綜しており、どれが本来の伝承だったかを見極めるのは難しい。八大竜王だというものもある。

神仏習合的解釈

古神道における八岐大蛇

沖縄の八岐大蛇説話*5

 最古の資料は『琉球神道記』巻五に中世型八岐大蛇神話があるらしいが、未確認。

 むかし、老夫婦に三人の娘がいた。しかし二人までは大蛇に食べられてしまい、残りの一人も食べられてしまうことになったので三人で泣いていた。そこに大和猛命(やまとたけるのみこと)が現れ、八つの酒樽を用意するように言った。大蛇はその酒樽を呑んで酔いつぶれ、その間に殺された。大和猛命と娘は夫婦になった。
 なぜかスサノヲではなくヤマトタケルになっている。
 これは与那原町のもの。類話もいくつかあり、頭は七つか八つであり、九つという伝承はない。丸山顕德によればこの説話は戦前の神話教育の影響によるものではないかとする。なぜなら、より広く古くから知られている多頭蛇説話は、上記に紹介した「中世神話」の八岐大蛇とそっくりだからである。

 ある島に、毎年頭が七つ、胴も七つあるウナギ(海蛇のことらしい)が11月14日に海から上陸してきた。そして人間を食べないと村々を荒らしまわって帰らなかった。しかも誰にも殺せない。これでは困るので、村々で協議して、くじ引きで当たった人間をウナギに食わせることにした。このくじ引きは10月13日に行なわれたのだが、17,8になる娘が当たった。家族はそれからの一ヶ月間ずっと泣いていた。そこに御蔵里之子(うくらさとぅぬし)という大名がシマ巡りでやってきて、その泣いている家族を見ていった。わけを聞くと、ウナギが娘を食べるから泣いているのだという。そこで大名は、村中集めて酒を造り、七つの瓶に酒を入れ、ウナギの通る道に置き、娘は瓶の上にやぐらを建ててそこに立たせなさい、と言った。さてウナギがやってきた。七つの瓶にはそれぞれ娘の姿が映っている。ウナギは頭を酒瓶に突っ込んで呑み、酔った。そこを御蔵里之子が太刀で殺した。

 沖縄勝連村の離島である津堅島(上の物語の「ある島」)では、毎年の旧暦11月14日にマータンコーの祭りといって七岐大蛇退治の儀礼が行なわれている。それは女の絵姿を掲げて酒樽に映し、蛇に飲ませて殺すというものである。 口承類話はほかに国頭郡宜野座村、宮古郡城辺町に知られている。


*1 Aleksandar Loma, 1998, "Interpretationes Slavicae: Some early mythological glosses," Studia Mythologica Slavica 1, p. 48.
*2 中世文学における八岐大蛇神話の平家物語や太平記のようなメジャー系以外の出典や引用は西脇哲夫(1984)「八岐大蛇神話の変容と中世芸能」『國學院雑誌』85(11)に分析されている。ここの節のメジャー系以外の引用も西脇論文に全面的に依存していることを先に断っておきます。*印をつけたものがそれ。
*3 新編日本古典文学全集56『太平記 3』p.272の注。
*4 小松和彦、荒俣宏『妖怪草紙』文庫版pp. 146-147。p. 147にある注によればこれは御伽草子『伊吹童子』の物語
*5 丸山顕德『沖縄民間説話の研究』による。

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Last-modified: 2015-12-20 (日) 04:47:49 (524d)