竜とドラゴン

ヴリトラ(वृत्र)

Vṛtra。厳密にするならVr̥tra-*1。アヒ(अहि/Ahi)。古代インドにおいて、ナーガが知られる以前の蛇の怪物。アジ・ダハーカと同源。

 ヴリトラはアヒとも呼ばれるが、これはヴリトラとは違い、普通名詞である。そしてこのアヒという言葉は、イランのアジ・ダハーカのアジに対応する言葉であり、またアヒもアジもおもに蛇の怪物に対して使われる呼び方であるため、インド・イランの古い時代の神話の名残がそこに認められると考えられている。

 印欧語で同語源と思われるものはサンスクリットのáhi-、アヴェスター語のaži-、ラテン語のanguis、リトアニア語のangìs、アルメニア語のawj、iž、トカラ語Bのauk、そして古代ギリシア語のóphis/οφις、ékhis/εχιςであり、いずれも「蛇」を意味する言葉である。ギリシア語のékhisから「まむし」エキドナEkhidnaの名前がうまれた。
 意味は異なるが、これらの単語をつなぐものとしては古代ギリシア語のénkhelys/εγχελυς、ラテン語のanguilla、リトアニア語のungurỹs、古教会スラヴ語のǫgorištǐがある。これらはいずれも「ウナギ」を意味する言葉である*2

ヴリトラを騙まし討ちで殺す

 インドラとヴリトラの戦闘神話は、『マハーバーラタ』に詳細に語られている。この戦い自体は『リグ・ヴェーダ』にも断片的に見ることができるが、まずは一本線の神話として『マハーバーラタ』のものを紹介しておく。なお、前段にあたるヴィシュヴァルーパとの対決も不離の神話なので載せておいた。

 昔、造物主のトヴァシュトリはインドラを憎んで、ヴィシュヴァルーパという息子を創造した。ヴィシュヴァルーパには頭が三つあったのでトリシラスと呼ばれた。ヴィシュヴァルーパの顔は太陽と月と火に似ており、一つの口でヴェーダを学習し、一つの口で酒を飲み、一つの顔で世界を飲み込むかのように凝視した。彼はインドラの地位を望んだ。ヴィシュヴァルーパは苦行を行なったが、それはインドラに自分の地位への心配をさせるに十分なほどの物だった。
 インドラは彼に苦行をやめさせるため、定石の手段としてアプサラスたちに彼を誘惑させるように仕向けた。しかし諸器官を制御していたヴィシュヴァルーパには色仕掛けの攻撃は全く効かなかった。
 そこで次に、インドラは実力行使に出た。最強の武器であるヴァジュラを投じて、トリシラスを強く打ったのである。トリシラスは反撃に出る様子もなく死に、そして倒れた。しかしこの死体は依然として強い光(テージャス)を放っており、インドラはそれに圧倒されて心休まらなかった。「まるで生きているかのようであった」。
 そのとき、彼は近くで仕事をしているきこりを見つけた。彼はきこりに、ヴィシュヴァルーパの頭を切断するように言った。でも、きこりは切断するものがお起きするぎることを理由にそれを断った。また、切断するのは善き人々に非難される行為である、とも。しかしインドラはなおもきこりに切断をうながした。きこりの斧をヴァジュラのように強くする、と言って。それでもきこりはやらなかった。なぜならヴィシュヴァルーパはバラモンたるトヴァシュトリの息子であり、彼を殺すことはバラモンを殺すことと同罪であったからである。最後にインドラは、祭祀において人々が犠牲獣の頭をきこりの取り分として与えるということを約束し、ようやくこの男に頭を切断させた。するとさまざまな鳥がトリシラスから飛び立った。ヴェーダを学習してソーマを飲んだ口からは山鳥が。世界を飲みそうに見つめていた顔からはシャコが。酒を飲んだ口からは雀(カラヴィンガ)が。

 息子を殺されたトヴァシュトリは大いに怒り、「邪悪な心をした悪党」インドラを殺すために、水に触れ、火中に供物を投じてヴリトラを創造した。ヴリトラはトヴァシュトリの苦行によって巨大に成長し、そして父親に従ってインドラと戦いに天上へと昇った。
 ヴリトラはインドラを飲み込んだが、そのことを恐れた神々は「あくび(ジュリンビカー)」を作り出してヴリトラの口をあけさせ、その隙に小さくなったインドラが体内から抜け出した。このとき以来世界にはあくびがある。戦闘は長く続いた。しかし苦行の力が勝っていたヴリトラは最終的にインドラを退却させてしまった。
 神々は恐怖に駆られ、どうすればいいか相談した。彼は無敵であり、デーヴァやアスラ、人間もろとも世界を全て飲み込んでしまうだろう。そこで神々は偉大なるヴィシュヌ神のところに行き、庇護を求めた。ヴィシュヌは、ヴリトラに懐柔策を用い、そしてインドラの武器ヴァジュラのなかに自分が入り込んでインドラを殺そう、と言った。神々はそうして、威光で輝いているヴリトラに近づき、ヴリトラとインドラに恒久的な友好関係を結ぶように勧めた。そうすれば世界を得ることになる。アスラのヴリトラはそう言った聖仙たちに頭を下げ、そしてこのように願った。乾いたものによっても、濡れたものによっても、石や木材によっても、通常の武器によってもヴァジュラによっても、昼も夜も、インドラと神々によって自分が殺されることのないように。そして和平が成立した。
 しかしインドラは何とかしてヴリトラを殺す方法を思案していた。あるとき彼は、海辺でヴリトラを見た。そのときは黄昏時、または黎明の時だった。すなわち夜でも昼でもない。彼はそれを騙まし討ちだと分かっていたが、なんとかして今殺さねばならないと考えた。海上には、山のように泡があった。「これは乾いても濡れてもいない。武器でもない」。そこでインドラはその泡とヴィシュヌが入り込んだヴァジュラをヴリトラに向かって投げつけた。ヴリトラは死んだ。諸世界は歓喜し、偉大なるインドラを讃えた。

 だが、インドラはその殺し方に大きな虚偽があることをはっきりと理解していた。また、以前からヴィシュヴァルーパの件でバラモン殺しの罪もかぶっているのである。インドラは自らの罪の大きさに圧倒され、世界をさまよい、どこかに消えてしまった。
 天候を操る神がいなくなったことで、世界は枯れた。樹木はなくなり、河川は流れなくなり、水は失せ、諸生物は苦しみ、神々は恐れた。そこでナフシャという人物が不在のインドラに代わって神々の王になることになった(『マハーバーラタ』第5巻第9~10章)。


*1 Rの下が「●」ではなく「○」。母音Vocalic Rだから。
*2 風間喜代三『ことばの身体誌 インド・ヨーロッパ文化の原像へ』p. 91

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Last-modified: 2007-10-13 (土) 09:00:22 (4437d)