竜とドラゴン

仏教の龍王

 と名前がついてしまっているが、これは本来ナーガの訳語で、自然界に存在するインドコブラのようなヘビのことである。首が多少多いこともあるが、漢字の「竜」からイメージされるほど怪物的なところはない。また、仏教伝説の中では人間の姿をしていることも多い。

 竜王が守護する中でもっとも重要なのは、海や池、川などの水に関係する場所である。また、雲を呼び寄せて雨降らせるのも竜王たちの仕事である。
 『大方等大集経』巻第四十三「日蔵分送使品」第九によれば、世界中の水場にそれぞれ竜王がいて守護しているという。娑伽羅、婆婁那、徳叉迦、宝護大行、瞿娑羅、婆蘇婆、呼嚧俱叉、婆私無俱叉の八竜王は海中を守り、よく大海の水を増減させる。また、阿奴駄致などの四竜王は池中(陸地の中の水地)を守護し、そこからすべての河川を流す。毘梨沙などの竜王は小さな河を守る。このため河川の水が尽きることはない しかし竜王は必ずしも水に関係するものばかり守護する存在ではなく、人間の周りの自然すべてを守る存在でもある。難陀・優波難陀の二竜王や婆須吉などの諸竜王は山の中を守護し、そのため山林は鬱蒼と茂っている。ほかにも聖者の場、薬草、地、火、風、樹、花、果物、そして諸芸百般を守護する竜王だっているのである*1

竜王の宿命

 竜たちも仏法に従い、人間に姿を変じて修行する。でも、どうしても竜の本性を現さなければいけないときが五種類あって、まずは生まれるとき。死ぬとき。性行為をするとき。感情的になって怒るとき。そして眠るとき、竜の姿を隠すことができなくなる。ある竜は人間の比丘たちと一緒にいたが、眠ったときに巨大な竜の姿を現してしまったため仏に「なんじ宮に還るべし」といわれ、泣く泣く従い、帰る前に仏を三重に取り巻いたという話がある。
 僧護が竜宮に行ったとき、4人の竜王たちが4種の阿含経を教えてくれるように願った。僧護がそれに応じて教えていると、第一の竜は黙ったまま聴いていた。第二の竜は眠って口誦していた。第三の竜は後ろを向いて聴いていた。第四の竜は遠くにいて聴いていた。これらの竜は智慧に聡明であった。でも、竜王が僧護に「何か愁うようなことは」と聞くと彼は竜たちの態度を指摘し、「おおありだ。法を受時するものはマナーを守らねばならぬが、お前ら竜たちはまさに畜生なり。何の規則にも従わず、仏法も知らない」と言った。竜「でも、それはあなたの命を守るためなんです。第一の竜は声に毒があるから、黙って聴いている。第二の竜は邪眼だから、見ると師を殺してしまう。だから目を閉じている。第三の竜は発する気に毒があるから、正面を向いているわけにはいかない。第四の竜は触ると毒がうつるから、遠くにいるのです」。(以上『仏説因縁僧護経』(T749)より)

 竜王の娘でも悟りを開くことはできるが、多少回りくどい(→妙法蓮華経)。

 とはいえ、人間以外の動物のなかで仏法を学び、悟りまで開けるのはほとんど竜の種族だけである。その他の畜生類が上記竜王のように師に敬意を払って阿含経を学ぶというような物語は見られず、如何にインド仏教において竜というものが特別視されていたかが分かる。

 ところで、なぜ竜王たちがこんなに悟りを開くのに苦しまないといけないか、というと、それは竜王の前世に由来する。 『正法念処経』巻第十八「畜生品第五之一」によれば、前世において瞋恚(妬み憎しみ恨み辛み)の行いを多くしたものが、大洋の奥深くに毒竜として転生する。毒竜たちは海の底一万由旬に生まれ変わってもなお、瞋恚の情を抱き、悩ましあい、怒り、心を乱して毒を吐き、お互いを傷つける。ただしこのような竜王のなかにも二種類があり、一つは法行竜王であり、法に従い世界を守護する。もう一つは非法行竜王であり、法に逆らい世界を破壊する。非法行竜王のほうはその行いのために、つねに熱砂が自分たちの身体に降りかかる。炎のように熱い熱砂は非法行竜王の身体を焼き、宮殿や眷属までも焼き尽くしたあと、また復活する(そしてまた熱砂の苦しみを受ける)。なぜこのような苦しみを受けるかというと、これらの竜王たちは人間であった前世に、瞋恚の心をもって僧房や集落や城址に火をつけて焼き尽くしたからである。このような人間たちはまず地獄に落ちて途方もない苦しみを受けた後、海底の毒竜に転生し、炎のように熱い熱砂によって焼き尽くされる。
 法行竜王のほうは熱砂の苦しみを受けることはないが、それでも人間よりも劣る畜生である竜王に転生したことに違いはない。それはなぜかと言うと、前世において仏法ではない邪戒を受け、布施をすることはしたが清浄なものではなく、瞋恚の心をもってyるう王に転生することを願ったからであるという。これらの竜王は瞋恚の心は少なく、福徳を願って法に従う。そのため、非法行竜王たちとは違って熱砂の苦難から逃れることができるのである。

竜と金翅鳥

 『長阿含経』巻第十九第四分「世記経」は、ほかにも『大楼炭経』『起世経』『起世因本経』などの漢訳が伝えられている仏教の経典である。もとはおそらくサンスクリットだったのだが、現存していない。

 「世記経」の内容は、一種の仏教的宇宙論である。説かれる対象は多岐にわたるが、だいたい、まずは須弥山を中心とするこの世の構造が示される。須弥山はサンスクリットでスメール山という神話的な世界山であり、その周りの大陸や大河、山岳など、地獄の惨状、阿須倫(阿修羅)や四天王の土地など、そして四劫による宇宙創成=崩壊の円環、だから解脱すべきだ、帝釈天と阿須倫の戦争、そして世界が段階的に形作られていく様子を説く。
 そのなかの第五竜鳥品は、金翅鳥(サンスクリットでガルダ、パーリ語でガルラ)が竜(ナーガ)を食べることを記すものである。もともとも神話は上記(work in progress...)のように複雑なものではなかったが、長阿含経ではいかにもインドらしく、4や7といった数字で竜と金翅鳥の多様な関係が展開されている。

 それによれば・・・ 竜にも金翅鳥にも4種類いる。

  • 卵生 卵から生まれるもの。
  • 胎生 母胎から生まれるもの。
  • 湿生 湿気から生まれるもの。
  • 化生 忽然と生まれるもの。

竜と金翅鳥は、究羅睒魔羅*2という世界樹に棲んでいる。究羅睒魔羅の周囲は700由旬、高さは100由旬*3。非常に大きい樹木で、この究羅睒魔羅の東西南北にそれぞれ先ほどの出生の分類に即した竜と金翅鳥の宮殿がある。
東は卵生。南は胎生。西は湿生。北は化生。それぞれ6000由旬四方の宮殿に住んでいる。

ただし娑竭(しゃが)竜王は海底に宮殿があり、8万由旬の大豪邸に暮らしている。また難陀&婆難陀(ばなんだ)の2人の竜王は須弥山と佉陀羅山(こだらせん)の間にそれぞれ6000由旬四方の宮殿がある。


鳥は竜を食べたいと思ったとき究羅睒魔羅の枝から飛び降り、翼で海面を打ち据える。すると海水は200由旬~1600由旬に渡ってパックリと開く(モーセの海割りのようなもの)。

ただし飛び降りる枝の方角によって食べれられる竜の種類や海の割れる距離は決まっていて、以下のようになっている。

  • 卵生の鳥が卵生の竜→東 200由旬
  • 胎生の鳥が卵生の竜→東 200由旬
  • 胎生の鳥が胎生の竜→南 400由旬
  • 湿生の鳥が卵生の竜→東 200由旬
  • 湿生の鳥が胎生の竜→南 400由旬
  • 湿生の鳥が湿生の竜→西 800由旬
  • 化生の鳥が卵生の竜→東 200由旬
  • 化生の鳥が胎生の竜→南 400由旬
  • 化生の鳥が湿生の竜→西 800由旬
  • 化生の鳥が化生の竜→北 1600由旬 と、経典の説明はこれだけで終わる。やや中途半端な気もするが、とにかくそういうことになっている。要するに竜のところに行くには遠回りをしてはいけないということだ。

でも、どんどん食べられていてはそのうち竜の種族が絶滅してしまう。
だから、仏典には食べることもできない大竜の名前も挙げられている。それは、娑竭竜王、難陀竜王、跋難陀(ばつなんだ)竜王、伊那婆羅(いなばら)竜王、提頭賴吒(だいずらた)竜王、善見竜王、阿盧(ある)竜王、伽拘羅(かくら)竜王、伽毗羅(かびら)竜王、阿波羅(あはら)竜王、伽[少/兔](がぬ)竜王、瞿伽[少/兔](くがぬ)竜王、阿耨達(あのくだつ)竜王、善住(ぜんじゅう)竜王、優睒伽波頭(うせんがはず)竜王、得叉伽(とくしゃか)竜王の16竜王である。
また、これらの竜王のそばにいる竜も食べられることはない。

竜王の数

 上記の「世記経」によれば、千の世界中に4000の竜、4000の大竜がいる。また、寿命は一劫。これは金翅鳥と同じである。

竜の姿

 『仏母大孔雀明王経』(T982)巻上には、 頭が一つのもの、二つのもの、多頭のもの、足がないもの、足が2本のもの、足が4本のもの、多足のものが出てくる。
 また隋の那連提耶舍訳『大雲輪請雨経』(T991)巻下は3頭の竜王、5頭の竜王、7頭の竜王、9頭の竜王を出す。

 『一字仏頂輪王経』(T951)には竜王個別に姿が記されている。それによれば阿難嚲竜王は九頭、無熱悩竜王は五頭、娑伽羅竜王は七頭、片手に宝珠をささげ、片手に蓮華をささげる。表情は喜ばしく、姿は天神のようである。頭の上から、これらの竜が出ている。

というわけで、竜は頭がたくさんあるといっても、最後の一文からわかるように人間の姿をしており、頭上から竜の首が出ているのが普通の姿である。

竜を使役する

 なにやら密教には竜や竜王を使い魔のごとく利用して呪法を行なうものがあるらしい。

 『持呪仙人飛鉢儀軌』(続蔵経104巻所収らしい*4)は難陀・抜難陀竜王などの竜王を使役して鉢を飛ばすもの。わざわざ天地鳴動させる兄弟竜王を使ってまで鉢を飛ばそうという発想がすばらしい。
 『不空羂索神変真言経』(T1092)巻5には竜女を利用するものがある。不空羂索観音菩薩の真言を持って竜宮に行けば竜女から如意宝珠を取ることができる。またこの竜女を苦しめて涙を流させ、その涙を飲むと神通と長寿を得ることができる。竜女の髪をとって体にかければすべての天竜羅刹などを服従させることができる。などなど。鬼畜なり。

竜に使役される

 とはいえ、普通の人が竜に出会ったらなすすべもなく言うことを聞くしかない。
 むかし、商人が船に乗っていると大竜神が現れた。みな怖がっていると、竜は汝は某国にいくかと問うので行くと答えると、竜は五升瓶ほどもある大きな卵を与えた。竜いわく、汝はこの卵をかの国の市中大樹の下に埋めよ、もし埋めなければ汝を殺す。
 その人はのちにその国に着き、市中大樹の下に竜から与えられた卵を産めた。その後、国中疫病が流行った。そこで王が道術師を呼んでこれを占わせると、国のどこかに蟒(うわばみ=大蛇)の卵があり、そのせいで災害が起きているとのことだった。それを掘り出して焼き捨てると疫病はことごとくやんだ。
 商人が再び海に出て船に乗っていると、竜が現れた。そこで教わったとおりに市中に卵を埋めると疫病が流行ったので王が占って卵を燃やし疫病の流行が終わったと語ると、竜は奴等を全滅させられなかったのは恨みが残るという。商人がそのことを問うと、竜は自分はもともとかの国の健児某甲だったが、平時、力によって国中の人々に暴力を振るっていたが、誰もそれを諌めるものがなかった。そのせいで自分は死後蟒蛇になってしまったのだ。だからお返しに奴等を殺そうとしたのだ、と語ったのだった。
『衆経撰雑譬喩』(T208)三一より

竜王のリスト

竜王の名前だけが多く載せられている経典はたくさんある。とくに密教系に多い。名前が羅列されたリストは竜王に限るものではなく、夜叉や天、羅刹などの名前も数十、場合によっては百以上並べられていることがある。
ほとんどの場合、これらの竜王は人々に敵対的なものではなく、むしろ名前が記されている経典を通じて事故災害から助けてくれる存在であるとされる。だからこそ、できるだけ多くの竜王やその他の超自然的存在に守護されるということがその経典の効力を高めることにつながる。同じサンスクリット原典から翻訳されているはずなのに、時代が下るにつれてどこからか名前が増えてくることもあったりする。
仏典において名前をとにかく羅列するという方法はインドに起源があるらしい。たとえば『マハーバーラタ』第1巻第31章5-15(ナーガのリスト参照)。

唐の不空訳『大雲輪請雨経』(T989)巻上

雨乞い儀式に使う経典。異訳も多い。*5

※前は全部羅列していましたが、ページが縦長になるだけなのでやめました。


*1 阿奴駄致以降、いちおうそれぞれ守護する竜王の名前は記されているのだが、いったいどこで名前を区切ればいいのかさっぱりわからないので省略した。参考までに原文は以下の通り。
阿奴駄致毘昌伽蘇致婆婁那得于問婁叉婆。難陀優波難陀。此二竜王守護山中。是故諸山叢林鬱茂。婆須吉娑羅囉蓋輸盧瞿摩祇利。亦為守護。毘梨沙閻浮伽赤眼娑羅婆帝。於小河水而為守護。悉陀摩奴阿羅蘇摩賀盧唱利。於聖人所及諸薬草而為作護。堅固緊輸迦歓喜。此於地中而為守護。最勝光毘喻婆三婆毘離耶尸棄。此於火中作護。動摩都劣三摸地羈蘭耶羈頼車。此於風中作護。優羅婆羅阿闍耶帝羅娑羅。此於樹中作護。吁嚧呵張火薄腳羅沙斯。此於花中作護。香常跋陀耶邏婆遮富婁那迦羅。此於果中作護。阿匙林婆毘遮婆多吁嚧脂多末羅伽。彼中毘首羯磨蘇摩「敲-高+(立/(可-一)」師奇和沙月眼。此四種一切工巧為最守護。

*2 くらせんまら。「閻浮提州品(第一)」には倶利睒婆羅くりせんばらとある。三蔵経では究羅睒摩。
*3 由旬のサイズが何kmかは分かっていない。神軍が一日に進軍する距離だから数十キロくらいなのだろうが、所詮想像の世界なのでどうでもいいことである。ここでは定方晟が一説として紹介する7kmを基準にして計算してみると、高さは700km、円周は4900km。なので半径1600km弱だから日本列島ぐらいは覆えるサイズということだ。
*4 http://www.cbeta.org/result/normal/X59/1048_001.htmに発見。[あとでよむ]
*5 サンスクリット原典が"Journal of the Royal Asiatic Society new series", vol. 12(1880)にBendallによって紹介されているらしいが、未見。

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Last-modified: 2007-10-16 (火) 05:45:50 (4648d)