竜とドラゴン

聖人伝に現れるドラゴン

 キリスト教において「聖人」とはWikipediaによれば「神によって聖とされた信徒を指す」。概念は時代や地域、そして特に宗派によってさまざまで、一言で答えられるようなものではない。ただし、このページに限定して言うならば、「聖人伝」hagiographaとは、始めから終わりまでキリスト教の信仰を前面に出しつつ、自身の腕力や知恵によってよりも自身の信仰によって奇跡や超常的な能力を発揮する英雄の物語、とでもなろうか。

 このページでは、聖人とドラゴンの物語を扱うことにする。もちろんその「物語」は原則として「ドラゴン退治」だけど。冗長になるので、聖人名の頭につく「聖」は基本的に無視することにする。

ゲオルギウス

 「ドラゴンと聖人」といえば代表的なのが、イングランドの守護聖人でありモスクワの紋章にもなっているゲオルギウスである。

グルジアのゲオルギウス

 コーカサスの小国グルジアは英語でGeorgiaと書く。Wikipediaなどによるとこれはロシア語読みに由来するらしいが、どちらにせよグルジアとゲオルギウスに密接な結びつきがあることの一つのわかりやすい証拠となっている。しかもそれはイングランドとゲオルギウスのような輸入ものなどではなく、ゲオルギウス伝説発祥の地としての結びつきがあったようなのだ。

 以下に掲げるのは、現在知られているかぎりで最古の、ゲオルギウスのドラゴン退治物語。この物語はエルサレムのギリシア教父図書館にあるもので、11世紀にグルジア語で書かれた*1
 もともとグルジア語で書かれていたものをエカチェリーナ・プリヴァローヴァがロシア語に訳したものをクリストファー・ウォルターが英語に訳したものをtoroiaが日本語に訳しているので色々とニュアンスのずれや表現のクオリティの喪失などはあると思うが、コンテクストはおおよそ理解できると思う。固有名詞についてはプリヴァローヴァ訳のロシア語(toroiaは一文も読めません)を適当にアルファベット読みしてそれっぽい単語を見つけたものをウォルター訳の英語と併記している。

 都市ラシア(Ласии, Lasia)は、神無き皇帝、偶像崇拝者のセリヌス(Селинос, Selinus)が支配していた。唯一神はセリヌスの不信仰に対する懲罰として、湖の近くに恐るべきドラゴン(дракона, dragon)を送り込んだ。ドラゴンは都市の住民をむさぼり食った。皇帝は何度もドラゴンに対して方策を尽くしたが、あらゆる努力は水泡に帰した。ドラゴンはそれほど巨大で恐ろしい存在だったのだ。都市の住民たちは集まって皇帝に対し方策の無益さを非難し、次なる手段へ移るように主張した。そこで皇帝は、子供を[ドラゴンの]生贄に捧げるための住人のリストをつくることを提案した。そして自分の番が来れば一人娘を捧げることも約束した。そしてそのように決議がなされた。皇帝の娘へと順番が回ってきた。すすり泣きが取り巻く中、皇帝は娘を皇紫で着付け、婚礼のための装いをなした。皇帝は金銀そして帝国を、一人娘を助けてくれた人間に与えると人々に言ったが、住民たちは無慈悲だった。
 しかし主なる神は、そのとき当地に来ていた聖ゲオルギウス(Георгий, George)の名の下に奇跡を起こすことを思った。ゲオルギウスはディオクレティアヌスの軍隊から自分の土地のあるカッパドキアへ戻ってくるところだった。彼は湖に脚を止め、馬に水を飲ませていた。そこで彼は、湖畔で泣いている少女を見つけた。少女はこのイケメン聖人に、ここから逃げなければ貴方は死んでしまいます、と言った。また自分の約束[生贄にされること]も話した。ゲオルギウスは、この都市ではどのような神を信仰しているのかを訊ねた。彼女は、ヘラクレス(Ираклию)、アポロン(Аполлону)、スカマンデル(Скамандру, Scamander)、大女神アルテミス(Артемис)です、と答えた。ゲオルギウスはもう一度そのことを確認し、神へと眼差しを向け、「ドラゴンを打ち倒すために奇跡を起こし私を助けてください」と願った。かくして神はゲオルギウスとともにあった。そして声が響いた。「思うところをなせ。我は汝とともにあり」。
 そのとき、ドラゴンが現れた。ゲオルギウスはそいつに向かって走り、十字を切り、主なる神に対し、この野獣を自分に従順になるように変えるよう願った。ゲオルギウスがそう言うや否や、ドラゴンは彼の足元にかしずいた。彼はドラゴンを少女の腰帯で結び、それを少女に渡し、都市の近くまで行くように言った。人々はそれを見て恐れをなし、逃げようとした。ゲオルギウスは彼らを静め、キリスト教徒になるように要求した。それで、全ての人々はキリストへの信仰を受け入れた。ゲオルギウスは剣を取り出し、ドラゴンを殺した。人々はゲオルギウスのもとへ集まり、その足元へとひれ伏し、主なる神に感謝した。それから続く数日で、聖ゲオルギウスは司教アレクサンドロスを招き、皇帝、宮廷以下全住民4万5千人を洗礼した。都市は喜びに満ちあふれた。皇帝は聖人を讃えて聖堂を建立し、聖ゲオルギウスはそこに行って奇跡をなした。祭壇のそばに彼は生命を与える泉が流れるようにしたが、それは今でも奇跡を起こしている。*2

 プロットの起源はおそらく相当古いが、ゲオルギウスのドラゴン退治伝説も、特徴的な王女の救出というモチーフも、はっきりと現れるのは文献や図像資料を考慮に入れても11世紀のグルジア近辺ということになるらしい*3
 知られている中でもっとも古い、ドラゴンを殺すゲオルギウスの図像は1006年あるいは1021年のカッパドキアのソアンルにある聖バルバラ聖堂らしい。しかしここには王女を救出するモチーフは見られない。救出モチーフが見られる図像のうち明確にゲオルギウスのものだとわかるのはグルジアのパヴニシにあるもので、年代は1158年から1184年ごろ。しかし様式的な観点から類例を探すと、たとえば1100年ごろのボチョルマ、11世紀後期のアディシ、12世紀のイクヴィ(すべてグルジア)などが挙げられる*4
 ロシアには、もっとも早いものでは1167年のスタラ・ラドガに図像が存在しているらしい*5
 それ以前となると、ゲオルギウスが退治しているのはドラゴンではなく人間(キリスト教を迫害する権力者)になるようだ。

パヴニシ、北側壁画のゲオルギウス*6

Pavnisi_draco.jpg

これだけではどのシーンかわかりにくいので、適当に補筆をしてみた図。

Pavnisi_comp.jpg

 ご覧の通り、下でとぐろを巻いているのはもちろん湖に棲んでいたドラゴンであり、上のほうで頭のまわりに輪っかがあるのがゲオルギウス。ゲオルギウスが載っているようなのが、彼の馬。馬の右側にいて、四角い帽子をかぶりおさげの髪型(?)をしているのが、ゲオルギウスが救出した王女。なぜ王女がここにいるかというと、物語にあるとおり、彼女は自分の腰帯をすっかりおとなしくなっていたドラゴンに結び、城門に向かって歩いているからである。城門の上のほうから二人の人物がゲオルギウスと王女とドラゴンを眺めている。残念ながらこのウェブサイトで一番重要になってくるはずのドラゴンの頭がどのようになっているのかどうかはわからない。一般的にこのような人物の配置が、グルジアにおけるゲオルギウスのドラゴン退治絵画の基本的な構図となっている。
 かなりわかりにくいが、上の図で脳内保管の練習をしてみると、このボチョルマの西側絵画(1100年ごろ)の破損だらけの図*7もなんとなく何が書かれているかわかるようになるはず。ドラゴンというか蛇はここでもほとんど何もわからない。なお、どうやらこの絵画は明確にゲオルギウスだといえるものではないようだが、人物の配置や場面情景からして彼のドラゴン退治を描いたものであることに間違いはなさそうだ。

Bochorma.jpg

次にアディシのもの*8。11世紀後半。こうなってくると、王女と腰帯、腰帯につながれるドラゴンの頭、それに伴って馬に乗りあわれれるゲオルギウス、その頭の光背、右に手挟んだ槍、城壁から不安げに見下ろす貴人たち、おそれおののいて城門へ飛び込む女性、こっそり城門から顔を出す人物などがはっきりと残されているのがわかる。ただし一つだけ……ドラゴンの頭が消えている! 絵画の写真をみないとなんともいえないが、ここだけ消されたという可能性もないではない。何せドラゴンの語源は「鋭い眼差し」ですから……。ところでアディシの絵画は11世紀後半だとされているが、これは最古のものだろうか(パヴニシのものは、上記のように12世紀後半)?

Adishi.jpg

最後に紹介するのはイクヴィの北翼、北側壁画*9。12世紀のもの。これはゲオルギウスが半分くらい消えてしまっているが、ドラゴンのディティールがはっきりとわかる。城門の外には皇帝もいるようだ。ところでドラゴンだが、これまでに見てきた絵画では、いずれも単なる大蛇のようにしかみえなかった。イクヴィの壁画では角が生え、耳があり、牙が生えそろい、ヒゲのようなものが首もとから生えており、明らかに通常の大蛇とは異なる特徴を備えていることがわかる。ここで注目したいのは角の数が一つだということで、これはイスラーム美術におけるドラゴンに特徴的な描写である。ただしイスラーム美術ではドラゴンというと細すぎる首にアンバランスなほどでかい頭というのが相場なので、イクヴィの絵画はそれとはまた別物であろう。

Ikvi.jpg

ラテン世界のゲオルギウス

 ゲオルギオスの名はラテン語化されてゲオルギウスになり、旧西ローマ帝国文化圏……いわゆる西ヨーロッパへと導入された。彼の伝説と名声は驚くべき広がりを見せるが、そのきっかけとなったのがヤコブス・デ・ウォラギネによる聖人伝説集成『黄金伝説』である。『黄金伝説』において私たちは現在知ることのできるゲオルギウス伝説を目にすることができる。それは上述したとおりのものである。

テオドロスとゲオルギオス

 ビザンツ文化圏の西アジア(上述のように、おそらくグルジア近辺)で誕生したと思われる聖人ゲオルギオスのドラゴン退治伝説。彼は一般的に軍事聖人[military saint]に分類されるが、もう一人ビザンツ時代に重要だった軍事聖人がいて、その名前をテオドロス(Theodoros)といった。そしてテオドロスもまた、ドラゴン退治をした英雄として名を馳せていたらしい。しかも、ゲオルギオスよりも前の時代から。

各地域のゲオルギウス

georgedragon_mongol.jpg

ゲオルギウスとドラゴン(モノクロ)。イブン・バクティーシュー『マナーフィ・アル=ハヤワーン』写本。モンゴル時代のペルシア、1295年*10
ドラゴンのイメージは西ヨーロッパのそれに近く、モンゴル時代以降の西アジアに顕著なモンゴル(=中国)的な竜の影響は受けていないようである(後足の渦巻きはもしかしたら中国美術の影響かもしれない)。ここでゲオルギウスは騎乗していないが、槍でドラゴンを殺害するところは原則にのっとっている。

アクリタス

 ビザンツ文化のなかでもう一人ドラゴン退治の英雄として有名なのがアクリタス(Akritas)である。アクリタスは聖人というわけではないが図像的にとてもゲオルギオスらと似通っているところがあるのでここに紹介しておく。

聖マルタその他


*1 Christpher Walter, 1995, 'The Origins of the Cult of Saint George', Revue des études byzantines, 53: 321.
*2 Екатерина Леонидовна Привалова, 1977, Павниси, p. 73; Walter, 321.
*3 Walter, 320-321.
*4 Walter, 322.
*5 Walter, 322.
*6 Привалова, Рис. 5.
*7 Привалова, Рис. 20.
*8 Привалова, Рис. 18.
*9 Привалова, Рис. 19.
*10 F. R. Martin, The Miniature Painting and Painters of Persia, India, and turkey from the 8th to the 18th Century, vol.2, pl. 21.

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Last-modified: 2009-08-01 (土) 02:26:51 (4273d)