竜とドラゴン

ケルトの蛇の怪物

 隣り合うゲルマン人の神話伝説では戦闘神トールと戦うミズガルズオルムシグルズに殺されるファーヴニルやベーオウルフのドラゴンなどのようにドラゴンや蛇の怪物が重要な位置を占めているのだが、ケルト神話では、もともと神話がゲルマンに比較して残っていなかったという理由もあるが、あまり重要な存在ではない(ウェールズのドラゴンは例外である)。キャサリン・ブリッグズもこう言っている。「アイルランドの妖精物語や英雄伝説には、奇妙にもドラゴンやワームがあまり出てこない。敵役となるのは主として巨人――これは非常に多い――と妖婆ハッグである」*1
 むしろ、時代が下った民間伝承や民話化された英雄伝説のなかに多くの蛇の怪物を見出すことができる。英雄伝説や聖人伝のなかのドラゴン退治は、どちらかというと新約聖書やゲルマン英雄伝説の影響だろう。民間伝承のなかのドラゴンはいまいち曖昧な姿をしているが、何気に世界で最も有名なドラゴンもこのなかに含まれることが知られている。
 ネッシーである。

スメルトリウスの神話

 スメルトリウス(Smertrius)またはスメルトリオスは、古代ケルトの神々のうちの一柱である。彼の名前はガリアと北イタリア、オーストリアにあるいくつかの碑文から見つかっている。また、その語根*smer-から派生した人名はガリア、ブリテン島、さらにガラテア(小アジア)にまで広まっていた。*smer-はおそらく「守護」「神慮」といった意味であったと考えられている。ただし、ほとんどすべての古代ケルトの神々と同じように、スメルトリウスがどんな神さまだったのか、どのような神話で活躍するのか、どんな人々に信仰されていたのか、についてのはっきりとした具体的な情報はまったく見つかっていない。
 スメルトリウスの名前と図像はナウタエ・パリシアキ(人名)の記念碑(14~37 AD)にあるものが有名で、破損している碑文からはSMERT-の5文字が読み取れる。そしてそのSMERT-の下のレリーフに、短い棍棒のようなものを右手に高く掲げ、左手に蛇のようなものをつかんでいる男性の姿が彫刻されている。男は上半身裸でヒゲをはやしているが、腹から下は壊れていてどうなっているのかはわからない。ケルト研究者たちは、これをスメルトリウス神と蛇の怪物との闘争神話の情景を描いたものであるらしいと推測している。スメルトリウスが戦闘神であるという証拠は、ドイツのトリーア付近から出土した碑文にマルティ・スメルトリオ(マルス・スメルトリウス)と書かれていることからも確認できる。マルスはローマ神話の戦争の神であり、ギリシアのアレスとは違ってローマ人に多大な人気がある神格だった。スメルトリウス碑文を彫った人々はそのマルスを自らの神であるスメルトリウスと同一視して(これをローマ風解釈という)、二つの名前を合成したのである。また、同じく偉大な戦闘神であるヘルクレスとも同一視されていたらしい。*2

聖コルンバとネス川の怪物

 日本語のネットを検索してみると、ネッシーの最古の記録は565年にアダムセンが書いた聖コロンバ伝にある、とされている。中世初期だ。スコットランドやブリテン島を見渡してみてもきわめて古い部類に入る文献である。これだけ古くからネッシーについての目撃証言があるのだから、ネッシーがそこにいたとしてもおかしくはない……というのがポジティプな人の考え方である。
 しかし正確には違う。まず、『聖コロンバ伝』(Vita Columbae')を書いたのは聖アダムナーン(Adamnán)であってアダムセンではない。そしてその年代は690-700年にかけてであって565年ではない*3。565年は、詳細は不明だが聖コルンバの年代(521-597)から考えると事件があった日付のようである。しかしいちばんかんじんなのは、事件が起こったのがネス湖畔ではなくネス川であることである。

 人々は、川を泳いでいる最中に怪物に咬みつかれて殺された男の死体を埋葬していた。聖コルンバはそこで対岸にある漁船を持ってこようとして、従者のうちの一人であるルグネ・モクミン(Lugne Mocmin)に取ってくるように言った。彼は川に飛び込み、船のところまで泳いでいった。
 しかし、そのとき川底に体を横たえ、一人だけでは物足りず次なる獲物を狙うために牙を研ぎ澄ましていた怪物は、水面が泳いでいる人間によってかき乱されているのを見逃さなかった。ルグネが川の中ほどを泳いでいると、そこへ怪物が現れ、口をあけて非常に巨大な咆哮をあげた。その叫び声に、そこにいた人々は異教徒だろうがキリスト教徒だろうが恐怖に打ち震えずにはおれなかった。しかし聖者[コロンバ]はそれを見て、手をあげながら中空に十字を切ると、神の名において、この怒り狂う怪物に対して、このように命令した。「行け、汝、これより男に近づかず、触るべからず。一度で戻るべし」。すると、聖人の言葉を聞いた怪物は恐ろしくなり、あたかもロープで引っ張られているかのように素早くそこから逃げ帰った。そのとき、もはやルグネと怪物の間にはほんのわずかの距離しかなかったのにも関わらず、である。(第2巻のc. 27)

 以上がネス川の怪物と聖コロンバの対決であり、ネッシーが知られるようになる前からケルトのドラゴン伝説としてはかなり有名な部類に入る物語だった。ただしどこにもドラゴンであるとか蛇の怪物であるとかは、書かれていない。そもそもスコットランドには蛇型の怪物よりもけるピーのような水馬、水牛の怪物のほうがよく知られているので、ネス川の怪物を単純にドラゴンと言っていいのかは疑問である(「怪物」がいた、というのにかわりはないが)。もちろん人間を食べられるほど大きな牙を持っている馬や牛というのは考えにくいことなので、蛇型の怪物であると考えるのも無理がない話ではあるが。
 ちなみにと学会の皆川龍太郎は「ネス川であってネス湖ではない」ことを強調しているが*4、ジェームズ・マキロップの『ケルト神話辞典』にはネッシーの項目にこの事件が書かれているので*5、大して大騒ぎするような違いというわけではない。

英雄フィンと怪物

蛇のような人物

メヘ

あまりはっきりと「蛇」といえるわけではないが、体の中に蛇の要素をもつ怪物がアイルランドの伝説に現れる。

『レンヌの地誌史』(Renne Dindsenchas**6)第13節によれば、ほかの印欧語族の英雄と同様に、マク・ケーフトも三重&蛇の特徴を持つ怪物と戦った。

 モリーガンの息子メヘ(またはメヒMechi*7)は、フェルターグの原にいて、三つの心臓を持っており、それらは三つの蛇が交差した形であった。マク・ケーフトがバロウ川でこの怪物を殺さなければ、蛇たちは大きくなり、アイルランドの人々を滅ぼしていただろう。メヘの死後マク・ケーフトはこの危険な蛇心臓を燃やして灰にして、その灰を川に投げ込んだ。すると川は沸騰しだして、すべての魚が死んだ。
 フェルターグの原はメヘの原と呼ばれるようになった*8

 神話学者のジョルジュ・デュメジルは、この怪物のよくわからない「三つの蛇心臓」の背後に、北欧の巨人であるフルングニル(心臓に3つの角がある)を、さらにインドのトリシラス-ヴリトラ(3つの頭と蛇)、イランのアジ・ダハーカ(3つの頭の蛇)、ローマのクリティアス3兄弟、ギリシアのゲーリュオーン(3つの体、蛇髪メドゥーサの孫)などとの対応を想定している。


*1 キャサリン・ブリッグズ(編著)『妖精事典』p. 527。
*2 ベルンハルト・マイヤー『ケルト事典』p. 134-35、ポール=マリー・デュヴァル「スメルトリオス」『世界神話大事典』イヴ・ボンヌフォワ(編)、p. 665。
*3 James MacKillop?, Dictionary of Celtic Mythology, p. 2。
*4 『トンデモ超常現象99の真相』p. 311。
*5 James MacKillop?, p. 302.
*6 原綴りはCELT内のRevue Celtique目次集による
*7 James MacKillop?, p. 326.
*8 ジョルジュ・デュメジル「戦士の幸と不幸」『デュメジル・コレクション4』pp. 434, 455.

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Last-modified: 2008-01-27 (日) 02:48:21 (4308d)