7つの頭の大蛇と、それを退治する英雄たち †数の聖性 † 「数」、とくに自然数というものは各地の文化でさまざまな意味が与えられ、その数によって社会の根本が決定され、それによって社会が運営されることも珍しくなかった。もっとも広く知られているのは10で、それはおそらくモノを数えるときに使う人間の指(それぞれの指は、体のほかのあいまいな目印と違って非常にはっきりと区別できる)の数が大抵の場合10であったことに由来する。神話のなかでの機能からすると、日本では8が重要視される。インド・ヨーロッパ語族だと3であり、社会階層は支配者・戦士・生産者の3つに分類され、神々や神話もこの3という数によって説明できるものが多い。アリゾナからメキシコにかけての諸民族*1は世界の方位としての4という数字を大切なものだと考えていた。2は非常に単純な数字なので、実質的にはどんな場合にも現れる。だから、どの文化で2という数字が重要視されていたか、というのを判断するのは不可能に近い。構造主義者のレヴィ=ストロースは、人類の神話の根源に二項対立があると考えた。 シュメールの七頭蛇 †それが直接の理由かどうかはわからないが、シュメール時代からアッカド時代にかけて(前29~22世紀ごろ)つくられた円筒印章や陶器などには、7つの頭を持った怪物が描かれている。 円筒印章に彫られているのは、複数の人物などが書き込まれているときは、何らかの神話的な物語の場面を描いたものだと考えられている。この7頭の怪物もおそらくそのような神話に現れていたのだろうけど、今のところ、円筒印章に彫られているのとぴったり一致する神話が書かれた粘土板は発見されていない(しかし、15世紀以上時代を下ったバルカン半島には、かなり似ている神話がある)。 図その1 †![]() 印章のほうでは、怪物は蛇のように胴体が細長く、そこからダックスフンドのように短い脚が4本生えている。肩のところからは長い首が伸び、さらにその首から6本の長い首が生えている。これら7本の首のうち上3つは斜め上をむいており、そして口から、先の割れた舌を突き出している。首の先についている頭は蛇のものである。しかし下4つは生命力が失われており、斜め下に首が倒れうなだれている。また、先の割れた舌も突き出されてはいない。背中からは、非常に長い背びれのようなものが6本生えている。不思議なことに(?)、尾は生えていない。 戦っているのは2人の神々である(神々であるとわかるのは、角が生えた冠をかぶっているから)。彼らは槍をもち、怪物の前後からそれを突き刺している。 図その2 †![]() 別の陶器片には、また違った形の7頭の蛇が描かれている。その蛇はとぐろをまいており、尻尾は一つ。しかし、頭がきれいに7つに分かれている。そしてそのうち2つは切断されているように見えるが、詳しい情景は省かれていて、よくわからない。 図その3 †![]() ほかの彫刻では、首が長い、脚が生えているなどの点では最初に紹介した印章とよく似ているが、頭が猫科の動物になっている、というものがある(首が長い猫科の動物はエジプトのナルメルのパレットにあるものが知られているが、これととてもそっくりなのがムシュフシュである)。この彫刻でも首の一部が倒れており、英雄が対峙している。怪物の下半身から先が欠けていて、印章のように下半身のほうを攻撃している英雄がいるかどうかはわからない。 ムシュマッフ † 後の時代の文書から、この怪物がムシュマッフ(アッカド語。シュメール語でムシュマフ)と呼ばれていたことがわかる。「ムシュマフ」というのは「巨大な蛇」だという意味。 メソポタミア以外の七頭蛇 † メソポタミアでは不人気だった七頭の蛇だが、地中海側へ西へと進んだシリアでは、神の主要な敵である海の怪物として再び現れる。ウガリトでは、リタンが七頭の蛇だと想像されていて、一部の現代の学者によれば、ヤムそのものが七頭の蛇でさえあるという。ヘブライではレヴィアタンが七頭の蛇と表現されるときは、必ずヤハウェに倒されるときである。 エジプトにも七頭の蛇がいたが、これはエジプトで書かれたらしいグノーシス主義文書『ピスティス・ソフィア』にも影響を与えているという。 頭の数は7ではないが、古代ギリシア神話では、ヒュドラという多頭蛇。ヒュドラは固有名詞ではなく「水蛇」といった意味。ヘラクレスはこのヒュドラを退治しなければならないが、何度でも再生する首に立ち向かうため、甥のイオラオスの助けを借りる。 |