地域・文化:悪魔学
紀元前10世紀のイスラエルの王ソロモンが従えたとされる72の魔神。「霊」とか「デーモン王」とか「悪魔」とかいわれるが、ここでは魔神とする。魔術書『レメゲトン』の中の「ゴエティア」または「ゲーティア」にのっている。この「ゴエティア」は、1904年の魔術結社「黄金の夜明け団」のアレイスター・クロウリーの注釈とマクレガー・メイザースの翻訳によって広く知られるようになった。
ソロモンは賢者であるとともに強力な魔術師であるともされ、彼は多くの魔神を従えることができるという伝説が古くからあった。たとえば前1世紀の旧約聖書偽典『ソロモンの契約』では、ソロモンがイスラエルの巨大な神殿を魔神を使役して建立したとしている。また、フラウィウス・ヨセフスは『ユダヤ古代誌』VIII.ii.5.45で「神がソロモンに悪鬼を追い出す秘技を授けたので、大ぜいの人間が治癒されて恩恵を受けた。……こうした秘技や秘法による治療は、現在でもわたしたちの間できわめて盛んである」(秦剛平訳)と記述し、彼が実際に目撃した例としてエレアザロスという人がウェスパシアヌス(当時は指揮官、後に皇帝)や千人隊長などの前で悪霊に取り憑かれた男をソロモンの名によって除霊した、と書いている。
ソロモン王が従えたという多数の魔神リストについての最古の資料は、ナグ・ハマディ写本の(仮称)『この世の起源について』である。そこでは49の両性具有の悪魔の創造について語られているところがあるが、「彼らの名前と性格については『ソロモンの書』を参照のこと」とあるのだ。しかし『ソロモンの書』は現存せず、『この世の起源について』の中にも49の悪魔の名前は載っていない。古代の資料で悪魔の長いリストがあるものとしては旧訳聖書偽典の『ソロモンの契約』があるが、正確な成立年代については諸説あり、後期古代だと思われるが、それ以上のことははっきりしない。
このソロモン王の伝承は『千一夜物語』などでスレイマンとジン(悪霊)としてイスラーム世界では広く知られるようになった。ジンは封印されている壷から解き放つ人間の願いをかなえる能力を持つとされた。そしてその伝承はアラビアの占星術書『ピカトリクス』(『ガヤート・アル=ハキーム』)でも言及され、中世初期にスペインからスペイン語とラテン語経由でヨーロッパへと導入された。なお、アラビアでもソロモン王の72の魔神のリストは知られているが(たとえば『フィフリスト』)、その内容はヨーロッパのものとは全く異なっている。またペルシア語、アルメニア語の72の魔神リストもあるようだ。
『レメゲトン』(Lemegeton)、または『ソロモン王の小さな鍵』(The Lesser Key of Solomon the King)の主要部分である多数の悪魔のリストに関連する、現在知られている最初の例はヨハン・ヴァイアー(Johann Weyer)の『悪魔の偽君主国』(Pseudomonarchia Dæmonum, 1577)である。ヴァイアーのこの文献は後にコラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』の悪魔リストにも多大な影響を与え、そしてド・プランシーの辞典にあったこれらの悪魔のブルトンによる挿絵が、結果的に現代にいたるまで「ソロモン王の72の魔神」を最もポピュラーな悪魔の一群にしている。
この『悪魔の偽君主国』はレギナルド・スコットの『妖術の暴露』(Discoverie of Witchcraft)に英訳が掲載され、1584年に出版された。しかし、どちらにおいても悪魔のリストは現在知られている『レメゲトン』「ゴエティア」のリストとは微妙に食い違っている。「ゴエティア」の最初のものは15世紀ごろにさかのぼると見られ、それはラテン語で書かれていたらしい。「ゴエティア」はそれから上述のようにフランス語や英語などに翻訳された。たとえば大英図書館にある英語版『レメゲトン』の複数の写本の時代はおよそ16世紀後半から17世紀初めだと推定される。ただ、これらの写本の表題はLesserではなくSmallとなっている。
『レメゲトン』には悪魔リストのある「ゴエティア」のほかに「テウルギア・ゴエティア」「アルス・パウリナ」「アルス・アルマデル」「アルス・ノタリア」の4編があるが、これらの起源などについてはある程度のことがわかっており、古いものは初期中世にさかのぼるという。
『レメゲトン』内では『レメゲトン』はエルサレムでユダヤ教のラビによってカルデア語とヘブライ語版のものが見つけられ、彼によってギリシア語に翻訳され、さらにそれがラテン語に翻訳された、としている。
このような具合で「ゴエティア」の起源やその発展、他のグリモアとの関連についての学術的な研究はいまだ行われておらず、わからないところが多い。
現在広く知られている「ゴエティア」はクロウリーらが再編集しなおしたものである。
ソロモン王はビレトを筆頭としベリアルを第二位、アスモダイを第三位とする(またはベリアル、ビレト、アスモダイ、ガアプを筆頭とする)72人の謀反の魔神を集め、彼らの配下の軍団とともに真鍮の容器に封印してバビロンの湖、または深い穴の中に投げ込んだ。しかし、バビロニア人が財宝目当てにこの容器を見つけ出し、壊して中に入っていた魔神を解き放ってしまった。この中でももっとも強大なベリアルが崇拝され、祈りと生贄が捧げられた。なお、『レメゲトン』にある容器のイラストは写本によって多少違うものの基本的には球体のようである。
ソロモン王は、これらの魔神たちを召喚するにあたっては月齢が2, 4, 6, 8, 10, 12, 14のときが最適であるとした。72の魔神の印章は金属製で、王のものは金より、侯爵のものは銀より、公爵のものは銅より、Prelacyのものは錫より、騎士のものは鉛より、Presidentのものは水銀より、伯爵のものは銅、銀でもなんでも金属より作らなければならない(水銀ってどうやって・・・)。
魔神たちは四つの方位をつかさどる強力なアマイモン、コルソン、ジミマイ(ジミニアル)、ゴアプの統率のもとにある。この4人の王の名前はオリエンス(ウリエンス)、パイモン(パイモニア)、アリトン(エギュン)、アマイモンとされたりもした。彼らを召喚するのはよっぽどのことがない限り推奨されない。
写本によって微妙な異同があるが、『ゴエティア』と題された写本はいずれも72の名前を挙げており、順序も同じである。写本による名称、つづりの相違は各個の項目を参照のこと。下のPetersonのものに従うと、次のようになる。
順序 | Petersonによる名称 | その他の、よく知られた名称 |
1 | バエル | |
2 | アガレス | |
3 | ヴァッサゴ | |
4 | ガミギン | ガミュギュン |
5 | マルバス | バルバス |
6 | ヴァレファル | マレファル |
7 | アモン | |
8 | バルバトス | |
9 | パイモン | |
10 | ブエル | |
11 | グソイン | グシオン |
12 | シトリ | スィトリ |
13 | ベレト | ビレト |
14 | レライェ | レラジエ |
15 | エリゴル | エリゴス |
16 | ゼパル | |
17 | ボティス | |
18 | バティン | バシン |
19 | サレオス | |
20 | プルソン | |
21 | モラクス | |
22 | イポス | イペス |
23 | アイム | ハボリュム |
24 | ナベリウス | ケルベロス |
25 | グラシャ・ラボラス | カークリノラース |
26 | ブネ | |
27 | ロノヴェ | ロンウェ |
28 | ベリト | |
29 | アスタロト | |
30 | フォルネウス | |
31 | フォラス | |
32 | アスモダイ | |
33 | ガアプ | |
34 | フルフル | |
35 | マルコシアス | |
36 | ストラス | |
37 | フェニックス | |
38 | ハルパス | ハルファス |
39 | マルパス | マルファス |
40 | ラウム | |
41 | フォカロル | |
42 | ヴェパル | |
43 | サブナク | サブノック |
44 | シャクス | |
45 | ヴィネ | |
46 | ビフロンス | |
47 | ヴアル | |
48 | ハアゲンティ | |
49 | プロケル | クロケル |
50 | フルカス | |
51 | バラム | |
52 | アロケス | |
53 | カイム | |
54 | ムルムル | |
55 | オロバス | |
56 | ゲモリー | グレモリー、ゴモリー |
57 | オセ | |
58 | アミィ | |
59 | オリアス | |
60 | ヴァプラ | ヴァピュラ |
61 | ザガン | |
62 | ヴァラク | ヴォラク |
63 | アンドラス | |
64 | フラウロス | |
65 | アンドレアルフス | |
66 | キメイエス | キメリエス |
67 | アムドゥスキアス | |
68 | ベリアル | |
69 | デカラビア | |
70 | セエレ | ゼエレ |
71 | ダンタリオン | |
72 | アンドロマリウス |
ソロモン王の72の魔神をカタカナでどう表記するかについてですが、『レメゲトン』がもとはラテン語で書かれていたという推測を踏まえると15-16世紀ごろの中世ラテン語によるのが最も妥当なところです。しかしMAB音楽資料室:歴史的発音:各地域のラテン語の発音というページにあるように地方によってラテン語の発音が違う上、本来はないアクセント記号(ÄやÉなど)つきのアルファベットがあるので、toroiaのような素人的には先行の日本語資料、たとえばフレッド・ゲティングズ著大瀧啓裕訳『悪魔の事典』や江口之隆『西洋魔物図鑑』を参照するほかありません。ただ、これらの専門家による資料もさっきのラテン語の発音ページと照らし合わせてみると疑問が残るところがいくつかあります。