ウトゥック

Utukku

地域・文化:アッカド


 シュメール語でウドゥグ。

 メソポタミアに、日本語の「悪魔」や「妖怪」を示す集合名詞は存在しなかった(英語などではデーモンdemonと総称される)が、その中でもラービスやウトゥックといった言葉が総称的に使われていたらしい。

 これらの存在は神々と同じように人間よりも力が強く、知性があり、超自然的な能力を持ち、不死であり、死すべき存在には到底太刀打ちできるようなものではなかった。しかしまた、悪霊たちは決して神々と見なされることもなかった(神々を意味する限定詞dがつくことは極めて稀であった)。つまり悪霊は神々よりは低次の存在であり、人々は神々に祈り、その配下にある怪物たちの彫像を地面に埋めたり特定の場所に飾ることによって、これら悪の存在の魔の手から逃れることができると考えていたのである。そのような手法を記した悪霊を追い払う祓魔文書はシュメール時代からアッカド人の時代を通じて途切れることなく発見されている。こういった基本的なシュメール時代の悪霊たちはアッカド人にも引き継がれ、アッカド伝承に固有な悪霊も多く存在したが、それがシュメール人にとって重要だった悪霊たちの場所を奪うようなことはあまりなかった(このリストはウドゥグの項目参照)。
 メソポタミア人は、怪我や病気などの不幸の原因をこれら悪霊によるものだと考えていた。特に様々な悪霊の名前はそのままある特定の、または不特定の病気を意味することもあった。彼らは人間を「つかみ」「さわり」「打ち」「傷つけ」「所有する」「力(文字通りには手、具体例はクーブなど参照)」があるとされたが、楔形文字文書において、これらの曖昧な動作や名前以外の具体的なもの、例えばこれらの悪霊が具体的にどのような生活を送っているのかとか、どのような姿をしているかというようなことについての言及は皆無に近かった。ただ、「砂漠に帰れ」という呪文があるように、人の少ないところにいるとは考えられていたようである。また、美術において悪霊の描写が滅多に存在しないのは、それを表現することによって災いを及ぼすと考えられていたかららしい。しかしながら、例外的に強力なパズズやラマシュトゥは呪符として表現されていた(後者は女神だとさえされている)。また、少ない悪霊たちの描写例として新アッシリア時代の『冥界の幻影』がある(ネルガルの14の悪魔の項目参照)。
 これらの悪霊は、シュメール時代は自分たちの気まぐれな意志によって、人通りの少ないところを歩いている旅人を襲ったり、弱い存在である赤ん坊や子供を襲ったりしていると考えられていた。つまり、悪霊と神々の関係は特に強調されているわけではなかった。しかしメソポタミアにおいてアッカド人が主力になってきた前三千年紀半ばからは、これらの悪霊は自分の意志によって人々に危害を加えるのではなく、「神々によって」人間に送り込まれる、という考えが主流になってきた。つまり悪霊たちは神々の有罪判決を執行し、神々に逆らって罪を犯した人間に懲罰を加える存在となったのである。この考えはヘブライ人にも受け継がれ、『旧約聖書』においては、悪霊は神に送り込まれる存在であって神に逆らう存在ではないとされている。

関連項目


参考資料 - 資料/193:; 資料/194:; 資料/195:; 資料/271:; 資料/126:; 資料/CAD:20.339ff.


トップ   編集 凍結 差分 履歴 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2011-01-11 (火) 02:34:08