アンティゴヌス

Antigonus

地域・文化:ベルギー・アントウェルペン


 アントウェルペンの町の巨人。

 後のフィリップ2世がアントウェルペンに入場したとき、市民は広場をはさんで町の議事堂の向かい側に大規模な見世物を用意した。それはドリス式神殿に巨人(の人形)が鎮座しているというもので、巨人の上にある頂板にはラテン語で彼の暴挙を歌う詩が彫られていた。
 アントウェルペンの主事であったグラフェウス(Grapheus)がこの祭典の折に書き記した四つ折本(1550年)によると、この巨人に関する伝説は次のようなものであった。
 この巨人はアンティゴヌスといい、スヘルデ川岸に住んでいた(グラフェウスの時代、そこは古城の廃墟となっていた)。彼の城は難攻不落であり、そのこともあってアンティゴヌスは暴君と化した。河を渡る旅人から通行料をせしめ、近隣の住民には過酷な法を化したのである。通行料を払っていなかったり拒否したりした人々に対しては、この巨人は力でもって支出を強いた。金で払えなかったものに対しては、手を切断するまでは出発を許さなかった。そのようなわけで、人々はこの地方をHantworp「手を投げ捨てる」と呼ぶようになったのである。この語がAntwerp、アントウェルペンになった(俗語源説)。
 しかし、最終的には、この地方の王子ブラボン(Brabon)がアンティゴヌスに攻撃をしかけ、そして殺し、人々を圧政から解放した。
 グラフェウスによれば、彼の時代にも上院議事堂で巨大な骨を見ることができるが、解剖学者によればそれは尋常でない大きさの人骨であり、アンティゴヌスのことであるという。脛骨、肩甲骨、歯、腕、寛骨があったらしい。そのサイズから推測するに、この巨人は18フィート(約5.4m)ほどもあった。画家のアルブレヒト・デューラーもアントウェルペンに来た際この人骨を見たと旅日記に書いている。

 この伝説は「巨人として具現化された政治的脅威に対抗するものとしての町の起源を表象する」ものらしいが、時の経過とともに「飼いならされ」、町のシンボルとなっていった*1。1685年の見世物においては、スペインやオランダなどの扮装をした8体の巨人の人形がアンティゴヌスのまわりを踊り、アントウェルペンとほかの民族が平和に共存する様子を表象するほどにまでなったという。

関連項目


参考資料 - 資料/562:41-42; 資料/563::66-79


*1 資料/562:41.

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Last-modified: 2010-06-28 (月) 05:40:09